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元ボクシング選手飯田覚士さん~前編~

2015年2月1日10時00分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ - Vol.3 –
元ボクシング選手飯田覚士さん~前編~

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「実はこのジム、僕はお金を一銭も出してないんです」
現役時代
現役時代の飯田さん。世界王者に輝いた
現在の飯田さん
現在の飯田さん。ジムで子供たちを指導している
~3回目~
飯田覚士(いいだ さとし)さん/45歳
ボクシング選手→役者→スポーツジム運営(「ボックスファイ」会長)
プロボクサーがいないボクシングジム
ビルの6階。エレベーターのドアが開くと、そこはボクシングジム。
だが、聞こえてくるのは子供たちの笑い声だ。
「ボクサーを辞めた時に、まず最初に決めたのは“一切ボクシングには関わらない”こと。それぐらい嫌になってたんです」
と話すのは、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオンの飯田覚士さん。
大学時代からボクシングを始め、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」に参加。優しく端正な顔立ちで、当時はアイドル的な人気も高かった。

プロになった時から、自分が伸びる限界を感じたら、ピークを過ぎたと感じたら辞めると決めていた。
“その時”が来たと感じたのが29歳。辞めることに迷いはない。しかし、次にやることを準備する余裕もまったく無かった。何年間も続いたボクシングだけの生活。精神的にも“殴り合い、相手を倒すこと”に集中する、ある種の興奮状態。

「慌てて動いたらきっと失敗する」

そう考えた飯田さんは、1年の猶予を作ることにした。週1回、知り合いのキックボクシングジムでトレーナーの仕事をしながら、それまでできなかった“人と会うこと”“家族と過ごすこと”言わば、普通の暮らしを送ることに時間を割いた。その間も、『元世界王者』のネームバリューには、おいしい誘いが舞い込んでくる。
「新しく立ち上げるスポーツジムが「名前を貸してくれたら月500万やる」と言ってきた時があったんです。すごく魅力的だったんですけど“元世界チャンピオン飯田覚士プロデュース”っていう看板を想像したら、それが自分のお墓みたいに思えちゃって……この先ずっとこの肩書きだけで、僕の人生が終わるんだなと感じてしまいました」
役者から現在へ、きっかけは子供の“運動会”
役者を目指していていたが、日の目を浴びることなく3年が経過。 そんなとき『運動会』での出来事が人生を変えた
役者を目指していていたが、日の目を浴びることなく3年が経過。
そんなとき『運動会』での出来事が人生を変えた
そんな中、出会ったのが今も親交がある俳優の今井雅之さん。
たまたま舞台を見に行った後に招待された打ち上げの席で、こんなことを言われた。
「ボクサーは、俳優に向いてる。セリフの掛け合いとか間合いを教えなくても分かっているんだよね」
舞台とボクシング。イチから憶えて、コツコツ何度も練習して、身体に染み込ませて、最後は本番のステージへ。何か通じるものを感じた飯田さんは、俳優を目指すため名古屋から東京に出てきた。
「ボクシングと同じく“絶対にやらない”と決めていた芸能界に行っちゃった(笑)。面白そうだ、やってみたいって思ったんです」

東京では、小さな事務所に入って役者の勉強を続けた。しかし、競争の激しい舞台の世界で、なかなか日の当たる場所には出ることができないまま……気がつけば3年が過ぎていた。

そんなある日、子供が通っている小学校に行き“おや?”っと思う光景に出くわした。それは、松葉杖をついている、三角巾で腕を吊っている子供がチラホラいたのだ。聞けば、運動会の練習中に骨折やケガをしたのだという。
「びっくりしましたよ! 運動会の練習でケガをするなんて、子供たちが普段どれだけ体を使ってないかですよ」
その出来事をきっかけに、近所のレンタルスタジオで週1回、子供の友だちを集めて始めた“独自のエクササイズ”。それが今に続く、飯田さんのセカンドキャリアの原点になった。

※2015年2月1日時点
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