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元サッカー選手大野俊三さん~後編~

2014年11月2日10時00分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ - Vol.2 –
元サッカー選手大野俊三さん~後編~

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貯めたお金はなくなり、借金を負うことに
居酒屋、広告代理店と2つの仕事をこなしていたが、約3年で辞めることになってしまった
居酒屋、広告代理店と2つの仕事をこなしていたが、約3年で辞めることになってしまった
広告代理店は、実力主義。スポンサーを取ってきた人がお金を貰える。初めての仕事ということもあり、先輩について研修をつむ日々が続き、収入はほとんどゼロ。何か、収入になるものをと考えていたところ、元々知人が居酒屋をやっていたところを、引き継いだ形で飲食業を始めた。

しかし、広告代理店と飲食業という2足のわらじは大野さんを徐々に苦しめた。

収入を期待していた飲食業、店の名前を「Shunzo」と自分の名前をつけて開店。店舗は60席程度、ホールに3人、コック3人と計6人が働いていた。当初は、大野俊三というネームバリューにより、注目を集めたが、自身の名前を付けたことにより、首を絞める結果になってしまった。

「僕の店というのは、地元の人なら当然分かっているんです。だから、私がお店にいるものだと思って、お客さんも来るんです。しかし広告代理店の仕事も兼務していたため、来たらいないときもある。そうすると「いないんだね」ということになってしまう。いるときに会える人もいますが、いるいないの話になり、混乱を招いてしまうことになったんです」

経営は年々悪化し、借金を背負うことになってしまった。

「始めたのだから、何とか盛り返したい。従業員もいますし、給料を出せないという訳にもいきません。現役時代、妻が貯蓄していたものも全てなくなりましたね」

現役時代にコツコツと貯めたお金はゼロからマイナスに変わり、もうこれ以上は続けられないと判断。2002年日韓ワールドカップが終わったころに、3年続けた店をひっそりと閉じた。また、それと同時に広告代理店業も辞めた。
リセット。新たなオファーが舞い込む
週末や夏休みなど、常に5~600人程度が施設を利用。支配人として、日々忙しく過ごしている
週末や夏休みなど、常に5~600人程度が施設を利用。支配人として、日々忙しく過ごしている
「本業って何って思ったんですよね。ここに帰ってきて何をやってるのと感じたんです。やっぱり、サッカーの指導をしていきたいなと思ったんです」

しかし、仕事はない。その時に助けてくれたのが、鹿島アントラーズの私設応援団。会長などと話をしたときに、役員の一人が建築関係の仕事しており、板金、屋根張りなど、手が空いているときに来て、仕事をしてもいいと言ってくれた。大野さん自身、整備、溶接などは住友金属工業時代に経験しており、それが活かされた形となった。

それと同時に、解説や幼稚園でのクリニックなど、自身がしたかったサッカーの仕事も徐々にこなしていた。その中で、飲食店に負った借金もコツコツ返し返済。このような生活が約1年続いたころ、3回目の転機が起きた。

2004年。公共施設だった鹿島ハイツが地域活性化を目指し、民間企業の力を活用して、スポーツ複合施設を行うというアイデアが持ち上がった。その時に、携わっていた人に「合宿所構想が持ち上がっている。この中でマネジメント業を一緒にしてくれないか」と打診された。

「マネジメントで合宿したいチームを呼んで来ればいいんだといわれましたが、広告代理店、飲食業で、経験したとの一緒で、人を呼ぶってなると大変だし、慎重に考えましたね。ただ、決めてとなったのはサッカー場を作るという構想があったことです」

鹿島ハイツスポーツプラザへは営業職で入り、合宿誘致などを行い3年後の2007年、当時の企画部長から、『自分は退くので、あとは任せることになる』といわれた。その後、正式にオーナーより支配人に就任してほしいと言われ、申し出を受けた。元サッカー選手が、サッカー場に加え、野球場やテニスコート、体育館を備えた国内有数の多目的スポーツ施設の支配人として、日々忙しく過ごしている。

「社員が22人、パートやアルバイトは約70人。週末や夏休みなど、常に5~600人程度が施設を利用します。主に運営に関わる業務を統括していますが、基本何でも屋です。営業にも行きますし、交渉や商談、木の伐採やウサギやヤギの面倒まで(笑)常に動き回っていますね。どーんと座っているわけではないんですよ」

そして、サッカー場があることで、サッカー教室。住友金属工業時代の親友が試合をする交流の場所となっている。

「鹿島アントラーズの試合を観戦しに行くと、ファンの人たちから「将来アントラーズ、日本代表の監督やらないんですか?」といわれるんですが、きっぱりと“やりません”と言います。なぜなら、今監督をやっているんです。ここで! 支配人は監督業ですよ。チーム(会社)をどのようにまとめていったらいいのかを日々考えています。ひと声でやる気があるチームになるのかならないのか、ガラッと変わりますからね。楽しいですよ」

大野さんが経験したサッカー、経営(飲食業)、営業(広告代理店)が全て活かされている現在の職業。苦しい時代を乗り越え、笑顔で接客する日々を過ごしている。
では最後に、セカンドキャリアを考えるスポーツ選手に、大野さんからのアドバイスは?

「私は、セカンドキャリアの準備はしていませんでした。自分で考えてやると思ったらやってしまいましたね。でも勢いだけでは無理です。相談できる体制や信頼できる仲間をつくり、周囲の理解を得てから、行動することが大切です。どのような仕事にも当てはまると思いますが、心がけていることは『人と人とのつながり』と『人を大切にする気持ち』です。同窓会、慰労会、団体の祝勝会、お祭りなど、多くの人が集まる場がとても重要だと思います。挨拶をして、自分がどのような仕事をしているのか説明する。そこから会話が広がり、仕事をもらえたりすることもありますからね」

プロフィール
大野俊三/1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。
習志野高校から1983年に住友金属蹴球団へ。
92年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約。
93年にはベストイレブンを受賞。同年、日本代表の一員として“ドーハの悲劇”も経験。
96年京都パープルサンガで引退。J1リーグ通算99試合出場1得点。2004年から、鹿島ハイツスポーツプラザ( http://kashima-hsp.com/)にて就業。07年に支配人に就任。

※2014年11月2日時点
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