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2014年10月1日10時00分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ - Vol.1 -元競輪選手 後藤圭司さん

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お手本は、寛平さん
お前、引退したらどないするん?
後藤圭司(ごとう けいじ)さん/40歳 競輪選手→整骨院オーナー(「ボディメンテナンス整骨院」代表)
後藤圭司(ごとう けいじ)さん/40歳
競輪選手→整骨院オーナー(「ボディメンテナンス整骨院」代表)
「本当は70歳まで、現役の競輪選手でいたかった。そんな爺さんになれたら、かっこいいじゃないですか」そう話すのは、後藤圭司さん。2014年の8月1日に、豊洲のフットサルパーク内にスポーツマンの身体のメンテナンスと、ケガや故障のケアを中心とした整骨院をオープン。その翌月に現役を退いた。

一生続けるつもりだった競輪の仕事。もちろん、辞めたあとのことなど考えたこともなかった後藤さんが、初めて「次の仕事」について考え始めたのは33歳の時。ある人の言葉がきっかけだった。

それは、後藤さんが子供の頃から家族ぐるみの付き合いがあった芸人・間寛平さん。まるで親戚の叔父さんのような存在という寛平さんが、食事の席でつぶやいた「圭司、お前引退したらどないするん?」その頃、クローン病と呼ばれる慢性的な消化器官の炎症を発症し食事療法に苦しんでいた後藤さんを気遣った言葉だった。

そしてもうひとつ。大きな引き金になったのがある日突然、選手たちに送られてきた退職金の減額通知だった。—理由は、不景気。売り上げの減少。それに続いて、賞金額もベースダウン。同じ成績を残していても徐々に収入が減っていき、最高で2000万あった年間の獲得賞金額も1000万を切るようになった。「やりたいのにやれない状況。このまま長く続けていていいのか、という不安が生まれてきたんです」
40歳までにいろんなパイプを作って、何かを始めよう
アースマラソンや24時間テレビのときに、家族で寛平さんを応援した
アースマラソンや24時間テレビのときに、家族で寛平さんを応援した
今から5年前。35歳の時に、それまでずっと住んでいた静岡県裾野市から、雑誌編集者の奥さんの仕事場がある東京へと引っ越したことをきっかけに「引退後」に向けて、少しずつ準備を始めた。

まず、決めなければならないのは「次の仕事」を何にするのか。その選択に迷いは無かった。「昔から身体について興味があったんですよ。どうすれば最大の筋力が出せるか、最高スピードが出せるか。プロのスポーツ選手ならみんな興味があることだと思いますけどね。で、とりあえず身体の勉強しようと」

付き合いのあるお医者さんや知人から、アドバイスをもらうことはもちろん、柔道整復師の資格をとるために去年から学校(朋友柔道整復専門学校)にも通い始めた。月曜日から金曜日の週5日、夜7時から9時半までは、学生として勉強の日々。仕事と学校の両立は、かなり大変なのでは?

「いえ、全然苦になんないです(笑)。自分の興味のあることだし、しかも自分で働いたお金を使って来てるんですから。大人になってからの勉強の方がやれるんですよ。それに、勉強したことが、現役時代けっこうすぐ役に立ちましたね。例えば、鍼灸師さんに身体のメンテナンスをお願いする時に、昔は“肩の、この奥の方が痛いって”言ってたのが、“棘上筋起支部のキワに痛みがある”って言えるようになると、相手も“ああ、そこね”ってピンポイントで施術してくれる。そのうち段々と、鍼灸師さんの腕の良し悪しが判るようになってきちゃうんですよ」

自分自身の経験や知人の話からも、今、多くのプロアスリートの現場で求められているのは、「鍼灸ができるトレーナー」だと言う。ならば、と、今の勉強に加えて、昼間に鍼灸の学校へ通うことも考え始めている後藤さん。目下の悩みは、1日が24時間しかないことだ。
怖い。と思うことこそやってみる
国家資格である柔道整復師の資格を取るために、夜は学校へ通う
国家資格である柔道整復師の資格を取るために、夜は学校へ通う
整骨院の開業へ、本格的に動き始めたのは今年の2月。学生時代の後輩で不動産開発の仕事をしている女性から「新豊洲駅周辺に期限付きですが、そこにミュージシャンたちが中心になったMIFA(ミーファ)という団体がフットサルパークを作ることになった。もし、興味があれば…」という話が舞いこんできた。ちょうど住んでいる場所から目と鼻の先。まだ手つかずのエリアだが、だからこそ何でもできる。音楽とフットサルを結びつけて活動するMIFAという団体にも魅力を感じた。

—よし、やろう。— 開業資金は、25歳の時に思い切って買った160坪の静岡の家を売ったお金が役に立った。「27、8歳までは本当にレースからレースの生活で、お金を使うヒマも場所もなかった。アパートの家賃だって5万円ぐらい。だから、いつの間にか家を買うぐらいのお金が貯まっちゃってたんですよ。最近の若い選手はよく“高級車に乗りたい、カッコいい車が欲しい”って言うんですけど、今の俺からしたら“車はお金生まないから、やめた方が良いよ”って、“そのお金で、不動産とか運用しろ”って。やっぱり、辞めた時にそれがお金を生んでくれてたら楽なんですよ」

デビュー3年目で大きな家を買う。競輪選手としての仕事をしながら学校へ通う。開業のチャンス、と見れば、リスクを覚悟で仲間と一緒に未経験の事業をスタートさせる。後藤さんのこうした行動は、例え思いついたとしても、つい「もう少し先でもいい」「しばらく様子を見てから」となかなか実行に移すことはできない人の方が多いのではないだろうか。

“怖いと思うことこそ、やってみる”それは競輪の現場で培った生き方だ。「競輪のポジション争いは、本当に命がけ。70キロのスピードで落車したら、下はコンクリートだから摩擦で皮膚がローストビーフみたいになっちゃう(笑)。だから前の日は眠れないぐらい“すげえ怖ぇな”って思うんだけど、落車覚悟で奪いに行って、何度も倒されて、痛い思いをしないと“どうすればうまくいくのか”は見つからない。“あの時、やっときゃ良かった”って後から思うのが、いちばんスッキリしないし、次に繋がらないんですよ」

それともうひとつ。小さい頃から大好きだった寛平さんが手本になっている。「寛平さんが、いつも何かに挑戦している姿を近くで見ていたっていうのはありましたね。芸人として生きているだけじゃなくて、アースマラソンや十種競技なんて無謀なことに挑戦したり、歌が下手なくせにラッパーになってみたり、アメマバッチで大失敗したり…。アホって言うしかないぐらい、すごい人ですよ。でもやっぱり踏み出してみないと、なんにも分からないじゃないですか」寛平さんの話をする後藤さんはとてもうれしそうだ。
一緒に働いてくれるスタッフには、 すでに柔道整復師の資格を持っている競輪時代の仲間塩田さんを誘った。
一緒に働いてくれるスタッフには、 すでに柔道整復師の資格を持っている競輪時代の仲間塩田さんを誘った。
では最後に、セカンドキャリアを考えるスポーツ選手に、後藤さんからのアドバイスは?

「現役の看板があるうちに、他人から興味を持たれているうちに動いておいた方がいいです。やっぱり人って違うフィールドの人間に興味を持っているものなんですよ。だから、スポーツのプロっていう看板があるうちの方が、いろんな人たちと会うチャンスがあるし、そこでパイプを広げておくんです。そして、自分の興味のあることや、やりたい職種の人には、 頭を低くして“何も知らないけど、スキルも経験もないけれど、お話しを聞かせてください”って真摯にお願いすれば、きっと何か教えていただけると思いますよ」

プロフィール
後藤圭司 / 1973年12月19日生まれ、静岡県裾野市出身。1996年にプロ競輪選手としてデビュー2001年にS級入り、通算勝利数139、通算優勝回数7。2014年8月1日、東京都豊洲に「ボディメンテナンス整骨院(http://bmkg.jp/)」を開業。同年9月29日に競輪選手としての競技生活から引退。

※2014年10月1日時点
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