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2021年3月9日15時39分

【元サッカー選手 高木成太さん】元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へ-Vol.32-(前編)

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「みんなに伝えたい“人生何が起こるかわからない”」
元サッカー選手、高木さんに話を聞きました


~第32回~
高木成太(たかき・なりた)さん/43歳
サッカー選手→サッカースクール、クラウドファンディング事業

文・斎藤寿子

“朝逃げ”するほど厳しい練習を乗り越え
レギュラーの座をつかむ
サッカーが盛んな長崎県長崎市で生まれ育った高木成太さん。2人の兄の影響もあり、物心ついた時からサッカーが一番の遊びだった。本格的に始めたのは、小学5年生のとき。現在、日本代表監督を務める森保一氏を輩出した『土井首サッカースポーツ少年団』に所属した。当時、全日本少年サッカー大会の常連という強豪で、練習は厳しく、最初は嫌々だったという。それでも練習するにつれて、少しずつ上達していくことが嬉しく、いつのまにかサッカーにのめりこんでいた。

「プレー自体に派手さはなく、チームプレーに徹するというタイプでした。だから、そんなに目立った選手ではありませんでしたね」

中学卒業後、進学したのは全国屈指の強豪校、国見高校だった。

「僕が本当に行きたかったのは、その年に誕生しJリーグの初代王者となったヴェルディ川崎のユースでした。だから中学3年生の時に、セレクションを受けに長崎から東京まで行ったんです。でも、結果は落選。国見は全国一練習が厳しいことは知っていましたから、行きたくないというのが本音で…でも、父親の勧めもあり行くことを決めました」

案の定、待ち受けていたのは地獄ともいえる過酷なトレーニング漬けの日々。全寮制ということもあり、授業とサッカーだけの毎日が続いた。そんな中、一度だけ寮を逃げ出したことがあった。

「1年生の終わりでしたね。朝練の前だから、“夜逃げ”ならぬ“朝逃げ”(笑)。厳しいトレーニングに全然ついていけなくて、心が折れてしまったんです。お金を持っていたのかどうかも覚えていないけれど、実家に逃げ帰りました」

するとその日、小嶺忠敏監督から実家に電話がかかってきた。“成太くんは精神的に弱いところがあるので、私が鍛え直します。ぜひ、戻ってくるように言ってください”。その電話を受けた父親の説得により、高木さんはしぶしぶ学校へと戻っていった。

その後、真面目に取り組み続けた結果、体も鍛えられ、練習にもついていけるようになった。すると2年生からレギュラーに抜擢。同級生にも優秀な選手が多く、3年生の時には優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、最後の全国高校サッカー選手権は2回戦で敗れた。あの時の悔しい思いは、今でも忘れられないという。
ラモス瑠偉さんからの電話で
開かれたプロへの道
現役時代の高木さん。横浜FCなどで活躍後、2014年に現役を引退
高校卒業後の進路について、高木さん自身はJリーガーへの道を希望していた。実際、同じ学年の仲間たちは、レギュラー11人中8人がJリーガーになる夢を叶えていた。自分もそれに続けるものと思っていたが、現実は甘くはない。進路先に決定したのは、東亜建設工業サッカー部から、その年にブレイズ熊本と改名した実業団チームだった。

「その会社で新人は朝、社長の自宅の大庭園の掃除と飼い犬のお世話をしなければならないんです。しかも犬は大きなブルドックで、怖くて…。同じボールを追いかけていた仲間たちはJリーガーになったり、有名大学のサッカー部に入部するなど、エリートコースを歩んでいるというのに、自分は何をしているんだろうと…。もうサッカー選手は諦めていましたね」

そんな高木さんに転機が訪れたのは、社会人2年目の1997年。オーディション番組「ASAYAN」への出演が決まったのだ。

「当時、ラモス瑠偉さんの『Jリーガーオーディション』というコーナーがあって、それに義姉が応募したんです。『まぁ、でも受かるはずないだろう』と思っていたら、書類審査に受かったとかで、九州ブロックのオーディションに出場することになって…。人生、何が起こるかわかりませんね(笑)」

結局、高木さんは最終メンバー20人に選出され、東京での最終オーディションに臨んだ。内心では自信があったという高木さんだが、結果は落選。たった一人の合格者になることはできなかった。すでにブレイズ熊本を辞めていた高木さんは、仕方なく実家でアルバイト生活を始めた。

そんなある日のこと、実家に一本の電話が鳴った。それはラモスさんからで、ヴェルディ川崎での練習の誘いだった。

「当時、ラモスさんは京都パープルサンガに所属していたのですが『またヴェルディに戻ることになったから、お前も練習に来いよ』と言ってくれたんです。もちろん断る理由はないので、すぐに東京に向かいました。そしたら練習に、ずっと子どもの頃から憧れてきたカズさん(三浦知良)とかがいるわけですよ。昨日まで地方の小さなスポーツ店でバイトをしていた自分が、スター軍団と一緒に練習をしているなんて…本当に奇跡でした」

もちろん、無名の選手がラモスさんの呼びかけで練習に参加したことに対して、よく思わない選手はいたという。だが、高木さんはそれを気にする余裕はなかった。とにかく自分をアピールして正式に入団することが先決だったからだ。2週間後、チームと正式に契約を交わした高木さんは、20歳にして、ついにプロサッカー選手の夢を叶えた。

そして、高木さんは同じポジションで活躍していた北澤豪さんに、プロとして重要なことを学んだという。ある日の練習中、練習後のクールダウンでランニングをしていたときのこと。数カ月後に開幕する日韓サッカーワールドカップについて、高木さんは何の気なく北澤さんに聞いてみた。

「ワールドカップ観に行きます?」

その言葉に、北澤氏は不思議そうな表情でこう返答した。

「まだメンバーは発表されていないんだ。君は、代表に選ばれるつもりでやっていないのか?」

その瞬間、高木さんは恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになった。“これが本物のプロ。大事なのは叶えられるかどうかではなく、本気で目指そうとするかどうかなんだな”。技術面だけでなく、意識にも大きな差があることを知った。

1999年に横浜FCに移籍。途中、1シーズンはヴェルディ川崎にレンタル移籍したが、5シーズンにわたって横浜FCでプレーした。

「全盛期は、横浜FC時代。あの時期、一番サッカーが楽しかったです。JFLからJ2への昇格に貢献できましたし、収入もあったので、ちゃんとプロになれたという実感を得ていましたね」

2005年以降は5チームを渡り歩き、2014年に現役引退を決意した。(前編終わり)


(プロフィール)
高木成太(たかき・なりた) 1977年4月生まれ、長崎県出身。長崎県立国見高校卒業後、実業団チームのブレイズ熊本に入団。この時に、ASAYANのJリーガーオーディション受け、それがきっかけとなりヴェルディ川崎に入団。99年に横浜FCに移籍し、JFLからJ2への昇格を果たした。2005年以降は5チームを渡り歩き、2014年に現役を引退。現在は、サッカースクールを開催するほか、クラウドファンディング事業の創出にも力を入れている。

※データは2021年3月9日時点
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