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2020年9月16日19時16分

【元格闘技選手 大山峻護さん】元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.28-(前編)

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「“ヒーロー”になる夢を叶えたかった」
元格闘技選手、大山峻護さんに話を聞きました


~第28回目~
大山峻護(おおやま・しゅんご)さん/46歳
格闘技選手→会社経営(エーワールド)


取材・文/太田弘樹

ウルトラマンになるために
柔道を開始
幼稚園の時に、テレビでウルトラマンが怪獣を倒している姿を見て“強くなりたい”と感じ、5歳で柔道を始めた大山峻護さん。母の勧めで、近所の柔道教室に通うようになった。最初は弱く、泣きながら帰宅する日々だったが、ブラウン管に映るウルトラマンを見て“絶対に強くなる”と胸に秘め、柔道を続ける。

中学生になった大山さんの憧れは、ウルトラマンから柔道家・古賀稔彦さんに変わっていた。古賀さんは、1992年バルセロナ五輪に出場し、71キロ級で金メダルを獲得。常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから『平成の三四郎』と呼ばれていた。

「古賀さんを見て、柔道という競技がより現実的なものになっていきましたね。この人みたいに強くなりたいと感じました。そして、古賀さんが入門していた講道学舎(※柔道私塾)に行きたいと思い、中学2年生のときにテストを受けに行きました。当然ですが、そこには全国で活躍している選手ばかりが集まっています。テストでは、その選手たちと試合を行い全敗、しかし受身の上手さを評価され、合格することができたんです」

合格がきっかけとなり、地元の栃木を出て、東京の世田谷区立弦巻中学校に転校。高校は、世田谷学園高等学校に進学した。しかし、高校2年生のときに後輩をイジメてしまい、講道学舎を破門に。地元の作新学院高等学校に転校し、そこで高校生活を終えた。

「当時のことを思い出すと、とても惨めな気持ちになりますね。同期には、2000年シドニー五輪・男子柔道81キロ級で金メダルを獲得した瀧本誠などトップ選手がいて、大会に出ては活躍。その姿を見て、自分も“頑張らないといけない”と必死に練習していましたが、その気持ちが空回りし、怪我をしてしまい思うように行きませんでした」

その後、千葉県にある国際武道大学に進学。柔道部に入ったが、肩の脱臼癖を治すため手術を決意。半年後に、部に合流することになる。部員は当時300人、出遅れたこともあり、出場機会に恵まれない日々が続いた。

「怪我で出遅れてしまったものの大学4年間は“死に物狂い”で柔道に打ち込もうと決めていました。その中で、玄米を摂取するなど食生活を変え、リラックスするためにお香を焚き、様々な本を読み柔道を研究しました。今では、当たり前にやっている選手も多いかもしれませんが、当時は“変な人”という目で周りから見られていました(笑)。でも“いつかきっと”この行動が柔道に活かされると、自分の道を進みました」
運命が変わった
2000年5月1日
PRIDEの舞台に立ちたいと決意した大山さん。総合格闘家としてのトレーニングを行うようになる。photo by 関根孝
転機が訪れたのは、大学2年生の時。柔道部の監督である柏崎克彦先生に、サンボ(※柔道とレスリングを合わせたようなルールをもつ競技)の挑戦をすすめられる。柏崎先生もサンボの経験者、そして『柔道に役立つものなら何でもやりなさい』という指導方針もあり、練習をスタートさせた。

「サンボはまだ競技人口も少なく、試合に出場できるチャンスも数多くありました。そこで習得したのが“飛びつき腕ひしぎ逆十字固め”、奇襲技ですが徹底的に練習しました。それが功を奏し、大学4年生の時に部内予選を勝ち抜き、初めて全日本学生体重別選手権に出場し、決勝まで勝ち進むことができました。

そして、その対戦相手が瀧本。講道学舎での同期生であり、トップ選手。高校時代に何度も練習をしていたこともあり、相手の攻撃が分かったんです。一進一退で、最後は“効果”という一番小さなポイントで惜敗はしたものの瀧本と対等に試合ができたことは、競技人生の自信となりました」

そんな大山さんの活躍を見ていたエネルギー供給・販売企業の京葉ガスから声がかかり、実業団として柔道を続けていくことを決める。

京葉ガスに入社後は総務部に所属。寄付・協賛の書類作りなどの業務を午前中にこなし、午後から練習というスケジュールの中、競技を続けた。1998年8月の全日本実業柔道個人選手権では、男子81キロ級で優勝するなど充実した競技生活を送っていたが、大山さんの人生を変える衝撃的な出来事が起った。

それは、2000年5月1日に開催された『PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦』の桜庭和志対ホイス・グレイシー戦。6ラウンド90分間の死闘の末、グレイシー陣営のタオル投入により、桜庭さんがTKOで勝利を収めた歴史的な一戦。

「 “勝者・桜庭!”とアナウンスが聞こえた瞬間に、全身の細胞にガソリンを掛けられ、体が『ブワッ!』と燃えるような感覚に陥りました。とても興奮して、震えるぐらいの感動を覚えたことを今でも忘れません。この激闘を目にしたことで、あのリングに立ちたいと切望するようになりました」

そんな興奮状態の中で、大山さんの心の中には『希望』と『不安』が入り混じっていた。不安なことは、“このまま柔道を続けていくべきなのか?”ということ。

「会社に残り柔道を続ければ、引退後も会社員として安定した生活が送れる。しかし、このまま柔道を続けていたら、あの舞台には立てないと、葛藤した瞬間もありました。でも小さなとき描いていた、ウルトラマンのような“ヒーロー”になるという夢を叶えたいという気持ちのほうが勝りました」

大山さんは、その試合の翌日から桜庭さんの入場曲『SPEED TK RE-MIX』を聞きながら、ランニングを開始。PRIDEのリングに立つイメージを持ちながら、トレーニングに励み“ヒーロー”になることを秘かに誓った。


(プロフィール)
大山峻護(おおやま・しゅんご)
1974年4月生まれ、栃木県出身。5歳より柔道を学ぶ。全日本学生体重別選手権準優勝、世界学生選手権出場、全日本実業団個人選手権優勝。2000年プロの格闘家に転身。12年にROAD FC初代ミドル級チャンピオンに輝く。14年12月に引退した。15年から、企業向けの人材育成サービスを手がけるエーワールドを設立し、格闘技の要素を取り入れたプログラム「ファイトネス」で心と身体の健康を増進するための指導に励む。20年には、一般社団法人「You-Do」を立ち上げ、アスリートと障がい児の子どもたちが出会い、学び、気づき、行動変容のきっかけを普及。『科学的に証明された心を強くするストレッチ』(アスコム出版)が発売中。さらに、『ビジネスエリートがやっているファイトネス ~体と心を一気に整える方法~』(あさ出版)が、10月中旬に発売予定。

※データは9月16日時点
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