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2020年2月28日17時57分

【元バスケットボール選手 加藤夕貴さん】元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.25-(前編)

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「日本のトップで競技ができたことが自信となっています」
元バスケットボール選手、加藤夕貴さんに話を聞きました


~第25回目~
加藤夕貴(かとう・ゆき)さん
バスケットボール選手→カフェ経営志望

取材・文/斎藤寿子

※スポーツ庁委託事業「スポーツキャリアサポート戦略における{アスリートと企業等とのマッチング支援}」の取材にご協力いただきました。

名門校進学で変化した
バスケットボールへの想い
バスケットボール選手として活躍してきた加藤夕貴さん。明星高等学校・専修大学と強豪校でプレーし、大学卒業後は、富士通レッドウェーブのメンバーとして3シーズン戦った。

しかし、大学の途中までは一度もスターティングメンバーに選ばれることはなく、エリートではなかったという。そんな加藤さんが、なぜ日本トップの『Wリーグ』への道を切り開くことができたのだろうか。

子どものころからスポーツが好きで、バレーボール、スキー、水泳など数多くのスポーツを経験。その中でも小学生のころに熱中していたのは“バレーボール”。当時から漠然とではあったが、将来はスポーツ選手になりたいと考えていた。

しかし、両親の転勤で移り住んだ先の中学校には女子バレーボール部がなく、代わりに始めたのがバスケットボールだった。中学校では、全国どころか東京都の大会にさえも出場することは叶わなかったが、身長170センチ以上あった加藤さんは、東京都選抜チームに抜擢された。

「選抜チームでは、都内からレベルの高い選手たちが集まっていて『私ももっと強くなりたい』と思うようになりました」

高校は強豪の明星高等学校に進学。しかし予想通り、熾烈なレギュラー争いが繰り広げられ、3年間ベンチを温めることの方が多かった。バスケットボールは好きだったが、やはり自分の実力に限界を感じ、高校でやめようと考えていた。

そんな加藤さんの気持ちに変化が生じたのは、高校3年生の時。2年生の終わりから怪我で練習もままならず、毎日が充実しているとはいえない日々を送っていた。

“このままバスケットボールをやめるのは、どうなんだろう…”

当時から心は揺れ動いていた。実は加藤さんの元には、専修大学からスポーツ推薦の話がきていた。怪我をしたことにより、“中途半端で終わるのは嫌だ。燃え尽きて終わりたい”という気持ちが膨らみ、進学を決意した。
ベンチを温める日々から
Wリーグへの躍進
大学卒業後、富士通レッドウェーブに入団した加藤さん。写真・FUJITSU SPORTS/Nano Association
転機が訪れたのは、大学2年生の時。
そのころ、入学時に抱いていたバスケットボールへの情熱が“冷めつつ”あった。

「大学は高校までの時とは違い、勝つことやレベルアップすることよりも、楽しい感じのバスケでした。自分自身のやる気も薄れていってしまって…。そんなときに、親しくしていた一人の先輩から“そんな気持ちでやっているから、バスケもその程度”ということをいわれたんです。もう悔しくて、たまりませんでした」

その言葉で、加藤さんは心を入れ替えて練習に励むようになった。すると、2年生の秋からレギュラーに抜擢されるようになり、インカレにも出場。3、4年生時にはユニバーシアードのメンバーにも選出されトップ選手として活躍した。

「中学校はいわゆる弱小だったので試合には出られていましたが、全国クラスでいえば、高校の時からそれまで一度もレギュラーになったことはありませんでした。そんな私が大学でユニバーシアードにまで選ばれるなんて、人生って本当に分からないと思いました」

もちろん、そんな加藤さんを日本バスケ界が放ってはおくわけがなかった。いくつかのオファーの中から、当時最も勢いのあった富士通レッドウェーブに入り、大学入学時には想像すらしていなかった『Wリーグ』に参戦することになった。

富士通では、バスケットボールに専念できる恵まれた環境が用意されていた。寮生活だった加藤さんは、起床して朝食を済ませた後、練習するための体の準備をして2時間半ほどの基礎トレーニングに励んだ。昼食後には休養をはさみ、再び体育館へ行き2時間半ほど試合形式の練習に打ち込む。練習後は、翌日のための体のケアを怠らなかった。

しかし、そんな“バスケ漬け”の中、徐々にケガが多くなり思うように体が動かなくなった。3シーズンにわたり、一度も納得したプレーをすることができず、2016-17シーズンを最後に、競技人生に終止符を打つ決心をした。

「大卒で入社したので年齢を考えると、現役生活は3~4年くらいかなと思っていたんです。1年目から怪我に悩まされ、3年目の時には25歳。私の中で、好きなことをやれるのが“20代”だと考えていたので、あと5年あるなと。ここでバスケに区切りをつけて、何か新しいことに挑戦してみようと思いました」

試合に出場する機会にはなかなか恵まれなかったが、それでも加藤さんは自分自身に誇りを持つことができたという。

「私は特にすごいプレーヤーではなかったけれど、いろんなことを乗り越えながら、自分の力で道を切り開いて、日本のトップまでいくことができました。このことは、現在でもすごく大きな自信です」

そして、エリートコースを歩んでこなかった自分だからこそ気づけたこともあった。

「自信にはなっていますが、決して自分だけの力でここまでこられたとは思いません。高校も大学も、高いレベルでできたのは、周囲の人たちの理解や支えがあったからこそ。バスケを通じて出会うことができた人たちとの縁は今でも大事にしています」(前編終わり)


(プロフィール)
加藤夕貴(かとう・ゆき)
1992年2月生まれ、東京都出身。国立第一中学校から明星学園高等学校を経て、専修大学に進学。4年生時には、ユニバーシアードに出場するなど活躍を見せる。卒業後、富士通に入社し富士通レッドウェーブのメンバーに。3シーズン戦い、2017年に引退。現在はカフェの経営を目指し、オーストラリアのカフェ店で働きながら勉強をしている。

※データは2020年2月28日時点
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