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2020年1月31日15時45分

女子サッカー選手 下山田志帆さん 「サッカー以外の部分も大切にすることで、よりサッカーが楽しくなりました」アスリートのデュアルキャリア(前編)

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女子サッカー選手、下山田志帆さんに話を聞きました


現在、なでしこリーグ2部のスフィーダ世田谷FCに所属し、プロサッカー選手として競技人生を歩んでいる下山田志帆さん。大学卒業後はドイツのブンデスリーガ(2部)で2シーズンにわたってプレーしたが、チームからの慰留を断り、2019年夏に日本に帰国。現在は、アスリートである傍ら新会社を設立し事業を始めるなど、新しい挑戦を行っている。競技人生で学んだこと、日本に帰国した理由、そして今後について話を聞きました。

取材・文/斎藤寿子

“文武両道”は
自分次第
サッカーを始めたのは小学校3年生の時。

学校の休み時間には、男子に交ざってグランドでボールを蹴ることが一番の楽しみだったという下山田さん。すると、友人が“そんなに好きならチームに入ろう”と声をかけてきたのがきっかけで、小学4年生の時に地元のスポーツ少年団に入った。

「両親からいわれてピアノ教室に通っていたこともあったのですが、あまり好きになれませんでした(笑)。それよりも、男子と一緒にワイワイやれて、ボール一つで友だちが増えていくサッカーの方が楽しかったんです!」

スポーツ少年団で男子に交じってプレーする傍らで、女子サッカーチームのつくばFCレディースにも所属。中学校に入っても、学校の男子サッカー部とつくばFCレディースの両方でプレーし、まさに『サッカー漬け』の青春時代を過ごしてきた。

下山田さんの才能は高く、中学校時代には茨城県選抜、関東選抜に抜擢。全国から優秀な選手がナショナルトレーニングセンターで集まって行われる練習会にも招致された。しかし、その練習会で“全国にはまだ自分よりも優れた選手がたくさんいる”ことを痛感。さらにレベルアップしたいと、高校は地元を出て女子サッカーの名門である十文字高等学校に進学することを選択した。

「地元では、自分は誰よりも上手だと思っていました。しかし全国だと、同じレベルの人はたくさんいて…だったら、もっとレベルの高いところでプレーしたいと思ったんです」

しかし十文字高等学校を選んだのは、サッカーだけが理由ではなかった。中学校時代から漠然と“将来はなでしこリーグでプレーしたい”という気持ちがあったものの、一方で“サッカーだけでは食べていけないのではないか?”という厳しい現実を感じていた。十文字は『文武両道』の高校であったため、サッカーの実力+学力を上げたいという考えのもと、進路を決めた。
全国トップレベルの女子サッカー選手が揃う十文字高等学校に進学した
実際に入ってみると全国レベルのサッカー部には、優秀な選手たちがズラリとそろい、予想以上に厳しい競争が待ち受けていた。まったくついていけないというわけではなかったが、やはり自分が小さな世界で天狗になっていたことに気づかされたという。

「入部早々に顧問の先生からは、たくさん叱られました。今考えると“自分は上手いんだ”というような態度だったと思います。実際、先生からは“天狗になっていると、いつまでたっても上達なんかしない”といわれたこともありました」

一方、勉強の方はというと部員全員が『文武両道』というわけではなかった。勉強している人と、していない人との差が大きく、すべては自分次第。そしてサッカーも同じだった。

「サッカーも勉強も自分の考え方や捉え方、やり方次第で、まったく違う状況を作り出してしまうんだなと思いました。だからこそ、どちらも上手くやっていく方法はあるなと。高校1年の時に、そのことに気づけたというのはすごく大きかったです」

努力の結果、1年生の時はレギュラーのAチームと、控えのBチームとの間を行ったり来たりしていたが、2年生からはAチームの固定メンバーとして活躍。2 年生の時には、インターハイで3位までのぼりつめた。だが、自分自身のプレーには納得していなかったという。

「当時の3年生には、何人も日本代表に入るような選手がいて、そんな先輩方と一緒にスタメンの一員としてプレーできたのはすごく光栄なことでした。でも、自分自身がどれだけ貢献できたかということに関しては、あまり納得できるものではなく、モヤモヤした気持ちがありました」

翌年、最終学年となった3年生の時には、ベスト16という残念な結果に終わった。しかし、下山田さんは同学年の仲間たちを誇りに感じていた。

「サッカーのレベルは、上の先輩方にはかなわない部分はあったと思います。でも、同級生は勉強も一生懸命に力を入れている選手が多くて、文武両道を体現しているようなチームでした。もちろんサッカーも大事だけれど、“プラスアルファで勉強も頑張ろう”と励まし合いながら頑張っていました。すごくいい時間でしたし、大事なことを学べました」
個性と多様性にあふれた
慶大女子ソッカー部
慶應義塾大学に入学後、女子ソッカー部に入った下山田さん
しかしサッカー選手として考えれば、ベスト16という結果にはやはり満足することはできなかった。“ここでやめてしまったら後悔することになる”と考え、大学でもサッカーを続けることを決意した。

文武両道にこだわった下山田さんが受験をしたのは、早稲田大学(以下、早大)と慶應義塾大学(以下、慶大)。どちらにも合格し、悩んだ末に全国トップレベルの早大ではなく、当時二部リーグの慶大を選択。果たして、その理由は何だったのか。

「当時から早大の女子サッカー部は強豪で知られていて、全国で何度も優勝するようなチームでした。早慶戦では、必ずといっていいほど早大が勝つような状態。優秀な先輩たちがすでにいて、自分の実力に関係なく引っ張っていってもらえるんだろうと。でも、それでは高校の時と同じになってしまう。だったら、現状は決して強いとはいえないチームに入って、自分が強くしていきたいと思ったんです」

そして、下山田さんには大学でもう一つ得たいものがあった。それは“サッカー以外のことでのプラスアルファ”。プレーヤーとしてだけでなく、人としてもさらに成長できる4年間にしたいと考えていたのだ。実際に、その『プラスアルファ』の部分が、その後の人生に大きく影響することになった。

慶大の女子ソッカー部には、初心者もいれば帰国子女もいるという、まったく異なる背景を持つ個性の強い人たちが集まっていた。彼女らに共通していたのは『サッカーだけが人生ではない』という自由な発想。チームメイトはライバルで、蹴落としてでもレギュラーになるという厳しい“競争社会”にあった高校時代とはまるで違う空気が、新鮮に感じられた。

「高校時代は、とにかくサッカーで高いレベルを目指すことを最優先に考えていたのですが、大学ではまるで違いました。『サッカーだけじゃ、つまらない』と、そのほかの部分も大切にすることで、サッカー自体が楽しいと思えるようになったんです。そうしたら、それまでは得点を取って活躍することが一番嬉しかったのですが、自分ではなく、毎日居残り練習を頑張っていた初心者やケガから復帰した人が活躍することが、何より嬉しいと感じられるようになりました」

こうしたサッカーへの価値観の変化は、自分自身に対しての気持ちにも変化をもたらした。

「高校と大学とでは、真逆のような環境でした。でも、どちらにも良さがあったと思うんです。だから両方を経験できて良かったなと。特に大学では、様々なことに対する価値観が広がった気がします。みんな違っていいし、誰にでも良さがあることを認め合い、何か間違っている言動があれば、きちんとそれを指摘できるような関係性でした。自分自身にも優しくなれた気がします」(前編終わり)

➡【アスリートのデュアルキャリア女子サッカー選手 下山田志帆さん(後編)


(プロフィール)
下山田志帆(しもやまだ・しほ)
1994年12月生まれ、茨城県出身。つくばFCレディース、十文字高等学校、慶應義塾大学でプレー。2015年ユニバーシアード大会の日本女子代表候補。17~19年、ドイツ女子2部リーグのSVメッペンに所属。19年7月からなでしこリーグ2部のスフィーダ世田谷FCでプレー。10月には、共同代表として『株式会社Rebolt(レボルト)』を設立。女性アスリートによる社会課題解決を目指し、様々な企業との商品開発を進めている。

※データは2020年1月31日時点
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