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2019年12月19日15時37分

【元プロ野球(独立リーグ)選手 佐藤宏樹さん】元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.23-(前編)

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「2つの転機がきっかけとなりプロの世界に入りました」
元プロ野球(独立リーグ)選手の佐藤宏樹さんに話を聞きました


~第23回目~
佐藤宏樹(さとう・ひろき)さん/26歳
野球選手→会社員(アイリスオーヤマ)

取材・文/斎藤寿子

※スポーツ庁委託事業「スポーツキャリアサポート戦略における{アスリートと企業等とのマッチング支援}」の取材にご協力いただきました。

1つ目の転機は
「捕手」から「投手」への転向
小学3年から野球を始めた佐藤宏樹さん。それ以前は、サッカーをしていたが、野球が好きだった父親からの勧めで兄と同じ地元のスポーツ少年団に入った。中学校は軟式野球部に所属。肩が強かったこともあり、小学校、中学校の時は守備の要である捕手を務めた。

「サッカーをやっていた時は、よくルールもわからず、とにかくみんなと一緒に走っていました(笑)。それはそれで楽しかったのですが、野球では一人一人にきちんと役割が与えられて、試合に出れば必ず打席に立ってスポットライトが当たる。それが、すごく嬉しかったです!」

結果的に17年間送った野球人生には、大きな転機が2つあった。

1つ目は、高校2年生の時。捕手から投手に転向したことだった。当時、同じ硬式野球部の同級生には正捕手を狙うライバルがいた。そのため3年生が卒業し、新チームとなって自分たちが最高学年となっても、なかなかスタメンマスクを被ることができず、悔しい日々を送っていた。

そんなある日、監督から“強肩を活かして、投手に転向したらどうだろうか?”という打診を受けた。『投手なら、たとえエースになれなくても2番手で試合に出る機会も多いはず』と考えた佐藤さん。もともと“打つ”“投げる”“走る”の中で“投げる”ことが好きで、キャッチボールの時間に最も楽しさを感じていたこともあり、迷わず転向を決めた。とにかく試合に出て活躍したい、という思いが強かった。

とはいえ、“女房役”から投手への転向は、見る角度も考え方も真逆に近い。戸惑いはなかったのだろうか。

「もちろん、投手もいろいろと考えなければいけません。しかし相手だけでなく、すべてのポジションを見て指示を出す捕手に比べれば、打者に集中できる投手のほうが、気持ち的には楽でした。捕手をしていたことが役に立つことも多かったですし、思い切りプレーすることができました。もともと好きな“投げる”ことが本職の投手は性にも合っていて、転向して良かったなと思いました」

結果的にエースナンバーを背負うことはできなかったが、背番号10をもらい、エースを温存したい時に先発を任される役割を務めた。そして高校時代の転向が、佐藤さんの潜在能力を引き出すことにもつながった。
恩師との出会いで
開花させた“実力”
四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに1位指名を受けてプロ野球選手となった佐藤さん
2つ目の転機は、大学時代。高校時代に投手に転向し、2番手ではあったものの試合に出場する喜びを感じていたが、その一方で”どうすればさらにレベルアップできるのか?”という方法が分からずに悩んでいた。そんな時に見つけたのが、あるトレーナーの記事だった。

「その記事を読んで、トレーナーは詳しい知識を持っていて“野球がうまくなれる方法を知っている”と感じました。当時、将来は指導者になりたいと考えていたので、それなら大学ではトレーナーの勉強をしようと考えました」

晴れて、第一志望の順天堂大学(以下、順大)に合格。そして、勉強の傍ら野球も続けることにした。順大硬式野球部は、東都大学リーグ三部に所属。だからこそ、野球部に入ることを決めたのだという。

「強豪の野球部なら入らなかったと思います(笑)。僕のレベルではとても無理だと思いましたし、何より大学には勉強をするために入ったので、それをおろそかにはしたくなかった。なので、いい意味で、順大だったから野球部を続ける選択ができたんです。もし野球部に入っていなかったら、その後の野球人生はなかったわけですから、これも縁だと思います」

進学した大学によっては野球をやめることも考えていた佐藤さん。しかし結果的に大学卒業後、独立リーグでプレーする道を選んだ。きっかけは、予想以上に球速が伸びたことだった。

大学入学時、ストレートの最速は128キロだったが、大学で勉強したトレーナーの専門知識を自らに取り入れてトレーニングに励むと、3年の春には目標としていた140キロに到達。チームのエースとなり、実戦では141キロを計測するまでになっていた。

「きちんとしたトレーニングをすれば、もっと自分は伸びるんじゃないか。どこまでいけるか、やってみたい。そう思ったのが独立リーグに行く理由でした」

しかし、当時の順大は三部で優勝はするものの、二部で最下位となった大学との入れ替え戦では、どうしても勝つことができずにいた。佐藤さん自身も、二部最下位にさえも歯が立たない自分の力に悔しい思いをした。

そこで相談したのが、大学時代の恩師。

通常、順大野球部には専門の監督やコーチは不在で、すべて学生自らが行っている。しかし佐藤さんが3年生の時、2011年に全日本大学野球選手権で、ベスト4に進出した東京国際大学の選手が、順大大学院に入学。野球部部長を務める教授の研究室に入ったことが縁で、野球部の指導に携わるようになった。

最も大きかったのは、豊富な知識による論理的アドバイスはもちろん、親身になってコミュニケーションを図り、その選手に合った指導の仕方で接してくれたことだったという。精神論が多く、一方通行だったそれまでの指導者とは、まるで異なっていた。
順天堂大学時代に出会った”恩師”の存在が、佐藤さんの能力を引き上げた
「野球人生の中で、最もお世話になったといっても過言ではありません。プロのスカウトに見てもらえるほどのレベルに引き上げてくださった方です。まずは、私の話をきちんと聞いてくれました。そのうえで、今、自分がどういう状態なのかを教えてもらいました。そして、僕が目指す最終的な目標を踏まえたうえで、そのためにはどうすべきか、一つ一つ丁寧に論理的に教えてくれました」

目標設定と、そこに到達するための道順を示してくれた恩師のアドバイスは、非常にわかりやすく、精神論だけに頼らない科学的な知識を取り入れた指導だった。

そこで、最後のシーズンを前に恩師に相談すると、目標とするレベルに到達するためには、どうしなければならないか、佐藤さんの現在地を示しながら丁寧に説明をしてくれたという。まずは投球に不可欠な下半身の強化や使い方の見直しという基礎の部分からスタート。その恩師の教えを守り、2カ月以上もボールに触れず、タオルを持ってのシャドウピッチングを繰り返し、下半身を鍛えることに集中した。

その結果、チームを二部に昇格させることはできなかったが、潜在能力を開花させることに成功した佐藤さんは、その年の秋に独立リーグのテストを受け、見事合格。四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに1位指名を受けてプロ野球選手となった。(前編終わり)


(プロフィール)
佐藤宏樹(さとう・ひろき)さん
1993年6月生まれ、千葉県出身。順天堂大学を卒業後。2016年、四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツに入団。18年4月にBCリーグ・富山GRNサンダーバーズ入団するも10月に引退。2019年5月より、アイリスオーヤマに入社。現在は、BtoB事業グループスポーツ施設MS首都圏に所属。

※2019年12月19日時点
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