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2019年9月6日14時02分

チアリーディング 土屋炎伽さん「“会社に入って働きながらチアも頑張りたい”その想いを伝えました」アスリートのデュアルキャリア(前編)

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チアリーディング土屋炎伽さんに話を聞きました


今年6月、国内を代表するミスコンテスト『2019ミス・ジャパン』の東京代表に選出された土屋炎伽(つちや・ほのか)さん。大学時代に出会ったチアリーディングの世界に魅了され続けている。大学卒業後は富士通に入社。正社員として働きながら、富士通チアリーダー部『フロンティアレッツ』で活動。今年3月には富士通を退社し、現在はコンサルティング会社に勤めながら、フロンティアレッツの活動を続けている。“常にチアリーダーであり続けたい”と語る土屋さん。チアリーディングとの出会い、転職した理由、『ミス・ジャパン』に挑戦する想いについて伺いました。【後編はこちら

取材・文/斎藤寿子
撮影/竹見脩吾

東日本大震災で感じた
“人を元気にできる存在に”
3歳から日本舞踊を習い、スポーツクラブで陸上をしていたという土屋炎伽さんは、もともと体を動かすことが好きだった。しかし、どちらかというとスポーツをするよりも“応援する”側の方に関心を抱いていたという。

そのため、甲子園のスタンドで応援する吹奏楽部への憧れもあり、高校時代は国際交流部とともに吹奏楽部でフルートを担当。改めて振り返ると、小学生から必ず誰かを“応援する部活”に所属しており“人にエールを送る”ことを自然に表現していた。

そんな土屋さんが、大学時代にチアリーディング部に入ったのは、入学する2011年3月に起きた東日本大震災がきっかけだった。被災地は混乱を極め、予断を許さない状況の中、入学式は中止となり授業も5月からの開始となった。

「授業開始を待つ間“何か自分にできることはないだろうか?”と、自問自答する日々を送りました。当時は電気の供給が不安定だったり、移動手段もなかったりと、ボランティアを受け入れる体制がまだまだ整っていませんでした。こんな大変な状況なのに、自分にできることがあまりにもなくて…それが本当に辛かったです。こういう時にこそ“人に元気や勇気を感じて欲しい”そう強く考えました」

そんな中、友人に誘われ、入学が決まっていた明治大学(以下、明大)の野球部が所属する六大学野球の試合を初めて観戦。そこで、試合だけでなく被災地に対する応援のリードをしていたチアリーダーの姿に感動を覚えた。

‐チアリーダーになって誰かを元気づけられるような存在になりたい‐

土屋さんは迷うことなく、入学してすぐに明大チアリーディング部に入部。 “チア人生”のスタートを切った。
誰よりも頑張っているからこそ
送れるエール
『応援のおかげで元気づけられたよ』と声をかけられる時が一番嬉しい瞬間だという
しかし実際に入ってみると、見た目の華やかさとは裏腹に、体育会系部活にも劣らないほどの過酷な日々が待ち受けていた。明大応援部は、100周年を迎えようとしているほどの歴史を持ち、伝統としきたりを重んじ、当時は昔と変わらない厳しい“縦社会”が形成されていた。

「想像以上に“ザ・体育会”でしたね。例えば夏に合宿があるのですが、代々受け継がれてきた応援団のジャージを着て、大声で校歌と応援歌の練習をする時間もあったり、今思うと、まるでドラマのような世界でした(笑)」

もちろん、その厳しさにはきちんとした理由があった。

「私たちの代が4年生になった時に、試行錯誤しながらやり方を変えたものもありますが、なぜ当時厳しかったというと、人を応援して元気づけることって、とてもエネルギーがいることですし、簡単なことではありません。

すでに、一生懸命頑張っている人に対して“頑張れ!”と声をかけることって凄いことで、自分たちがその人たち以上に頑張っていなければ何も伝わりません。その考えを大切にしたうえでの厳しさだったんです」

どれだけ厳しい気象条件の中でも、笑顔で応援することが求められる。それを可能にするのは、日頃の練習で鍛え上げた強靭な体と心。チアリーダーの笑顔と元気は、一朝一夕でできるものではなく、トレーニングの賜物。

辛いこともたくさんあったが“4年間やり続けて良かった”と心の底から思ったという土屋さん。一番嬉しい瞬間は『ありがとう。応援のおかげで元気づけられたよ』と声をかけられた時。“誰かの力になりたい”と飛び込んだチアの世界だっただけに、その一言が何より嬉しかった。

そして、チアリーディングの特権がもう一つある。

「スポーツ選手って、誰もがみんな怪我をしたり挫折をしたりして、苦しい時期があるんです。でも、それを乗り越えようと努力した先に起こる“奇跡”があって、その瞬間に多く立ち会うことができました。そのたびに“こんなに凄い人たちにエールを送るのだから、自分も頑張らなくてはいけない”と思うことができました」

土屋さんもまた、選手たちの努力する姿勢に元気をもらっていた。
チア活動継続のきっかけは
就職活動中に抱いた違和感
15年4月に富士通に入社。チアリーディング部『フロンティアレッツ』のメンバーになる
4年間、目まぐるしいチアリーディング部の生活をまっとうし、土屋さんには“やり切った”という気持ちがあった。そのため、当初は卒業後もチアリーダーを続けるという選択肢はなく、普通に就職活動を行い、4年生の春には内定をもらっていた。

「続けたいかどうかよりも、そもそも卒業後も続けられるとは思っていなかったんです。明大は応援に力を入れているのですが、社会人のチアリーダー部はダンスの技術がとても高い。中学、高校からチアダンスをやってきた人も多いんです。私が通用するはずがないと思っていました」

そんな彼女が、一念発起して富士通のチアリーディング部のテストを受けたのは、就職活動中に感じた“ある思い”からだった。

「面接でチアリーディング部での活動をお話したのですが、そうするとよく聞かれたのは“チア以外で力を入れてきたことは?”という質問でした。そのたびに、なぜ全力で取り組んできた活動を認めてもらえないのかなって。そこでの経験こそが、私の強みで、それ以外のところを求められることに違和感がありました。やはり、自身の強みを活かせるところで働きたいと考えが変わった瞬間でした」

納得することができないまま、就職活動が終わろうとしていた時、ある案内に目が止まった。それは、富士通チアリーディング部の募集案内。見た瞬間に“これだ!”と閃きを感じ、説明会に参加。

「チアリーディング部の前に、まずは企業についての説明がありました。富士通ではICTソリューションに注力していて“ICTの技術で世界をよりよくする”というのが大きな理念としてあります。例えば、災害の時に必要な医療にも富士通のICT技術が大きく関わっていて、もともと震災をきっかけにチアの世界に入った私と共鳴したんです」

その後、土屋さんは富士通チアリーディング部のダンステストと面接を受けた。

「ダンスを専門的に習ったことがなく、見よう見まねで必死でした。正直、受かる自信はなかったです。でも“この会社に入って働きながらチアも頑張りたい”という気持ちをきちんと伝えました」

結果は見事合格。2015年4月に富士通に入社し、チアリーディング部『フロンティアレッツ』のメンバーとなった。(前編終わり)


(プロフィール)
土屋炎伽(つちや・ほのか)さん
1992年8月生まれ、東京都出身。明治大学で応援団バトン・チアリーディング部に所属。卒業後は、富士通に入社し、正社員として働きながらチアリーディング部『フロンティアレッツ』のメンバーに。アメリカンフットボールチーム『富士通フロンティアーズ』などで、活動を行う。2019年3月に富士通を退社。現在はコンサルティング会社に勤めながら、フロンティアレッツの活動を続けている。今年6月には、国内を代表するミスコンテスト『2019ミス・ジャパン』の東京代表に選出。9月11日に開催される日本大会でグランプリを目指し、自分でしか創れない新しいキャリアを歩む。

※データは2019年9月6日時点
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