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2019年9月27日17時07分

【元プロ野球(独立リーグ)選手 野副星児さん】元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.21-(前編)

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「仕事として野球と向き合いたかった」
元プロ野球(独立リーグ)選手、野副星児さんに話を聞きました



~第21回目~
野副星児(のぞえ・せいご)さん/29歳
プロ野球(独立リーグ)選手→四国アイランドリーグplus事業/営業企画

取材・文/太田弘樹

子供たちの指導で変わった”野球観”
10歳から野球をはじめ、大学3年生の夏に一度ユニフォームを脱いだ野副星児さん。大学卒業後は、埼玉県の公立高校に勤務しながら、母校である埼玉県立川越工業高等学校で子供たちの指導にあたっていた。

転機となったのは、社会人3年目。2年間は年間契約の職員だったが、3年目は非常勤講師となったことで時間に余裕ができた。勤務地も母校から近くなり、毎日指導することが出来るようになったことで、本格的にプロ野球選手を目指すことになる。

「大学3年生の夏、選手から学生コーチになりました。チームの為といったらあれですけど…選手としてもレギュラーでは通用しないんだっていうのも分かったので、選手を辞めました。しかし、社会人になって“自由で良い”と思った部分があって、というのも学生の時はチームの為に学生コーチの道を選択しましたが、そこに囚われて野球選手を諦めてしまう必要はないのかもしれないと感じられるようになりました。

あと、子供たちに指導していて自分が伝えている事には、どれだけの価値があるんだろうと。そこで思ったのが、可視化できる『お金』を貰えるかどうか。プロ野球選手としてきちんと仕事をして給料をもらえることができれば、自信にもなりますし、子供たちにもっと深みのあることを伝えられるはず。そこから独立リーグを意識するようになりました」

高校での練習は夕方4時から開始。全体練習が夜7時に終わった後、夜12時ごろまで個人練習を行った。それを約1年続け、BCリーグのトライアウトを受けることになったが、結果は不合格。

そんなとき、野副さんの母校で監督をしていた恩師から連絡が入り“今、別の学校で野球部を指導しているが、そこで関西の独立リーグのトライアウトがある”という話を聞き、受験を志願。見事合格し、関西独立リーグ(※当時はBFL)の06ブルズに入団。しかし、野副さんが想像した野球が仕事になるという感覚には程遠かった。

「中には、部活動の延長線上という感覚でプレーしている人もいました。私は『仕事』として、野球をするという想いが強かったので…中々馴染めないところもありました。しかし、そこは関係なく、とにかくやんないといけないという覚悟で野球に打ち込みました」

1年で06ブルズを退団し、その後再度BCリーグのトライアウトを受けるが、そこでも不合格。そして、次に挑んだのが四国アイランドリーグplusだった。

「BCリーグでの2回のトライアウトは、受ける人数も多かったことから、会場の雰囲気に飲み込まれてしまった部分もありました。だから、四国のトライアウトは、場の空気だけには飲み込まれないようにしようと、ひたすら声を出しまくったんです。本当にそれだけでした(笑)。まさか受かるとは思ってなかったので、ビックリしましたね」
自分を“商品”として
どれだけ価値を上げられるか
捕手として高知ファイティングドックスへ入団した野副さん。野球を『仕事』にしたいという希望が実現した
四国アイランドリーグplusのトライアウトに見事合格し、捕手として高知ファイティングドックスへ入団。野球を『仕事』にしたいという希望が実現した。

「入団した際、最初に球団と契約を交わしますが、その時に“これからは個人事業主として野球をします”といわれたことが一番印象に残っています。今まで子供たちを教えていたときには一切頭に無かったので、それがある意味“面白くて!”。

要するに、自分に商品価値があると思い球団側は契約を結んでくれたので『どうやって結果を残していくか』『ファンを喜ばせられるか』『価値を高めていけるのか』を深く考えられるようになったんです。仕事として野球を行うということは、自分が“商品”となり、それを価値あるものにしていけるかが大事だと気づかされました」

プロとして第一歩をスタートさせた野副さん。レベルの違いはあったというが、練習内容や試合などは自身が経験していたものと、劇的な変化はなかった。しかし、自身のマインドが大きく変わっていた。

「とにかく私が常に考えたのは“何でここにいるのか”ということです。ここで野球をしているということは『NPBに行けなかった』、そして『野球を諦めきれなかった』からです。だから、今までのやり方では絶対ダメで、自分をとにかく変えるために勉強をして、情報収集して、とにかく新しい事を模索し、研究して突き詰めようとしました。練習をする中でも違う考え方でやってみようというのは常にありましたね。そうじゃないと、生き残れないんです。本当に生きるか死ぬかの世界でした」

しかし1年後、高知ファイティングドックスから自由契約を言い渡され、引退を決意。思考を変え、行動を変え、職業として野球と向き合った特別な時間。野副さんの心の中で“やりきった”と思えたからこその決断だった。(前編終わり)


(プロフィール)
野副星児(のぞえ・せいご)
1990年生まれ、埼玉県出身。日本体育大学卒業後、3年間埼玉県の公立高校に勤務。教員を辞め、2015年に関西を拠点とした野球独立リーグ06ブルズへ入団。翌年、四国アイランドリーグの高知ファイティングドックスへ入団。2017年に引退し、車メーカーで約1年3カ月働き、2019年3月より、四国アイランドリーグplus運営事務局にて勤務。

※データは2019年9月27日時点
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