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2019年5月1日16時09分

「趣味の枠をこえて競技に夢中になっている自分がいました」アスリートのデュアルキャリア アルティメット選手 田村友絵さん(前編)

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7人制フライングディスク競技『アルティメット』のプレーヤー田村友絵さんに話を聞いた


7人制フライングディスク競技『アルティメット』の日本を代表するプレーヤーとして、世界を相手に戦っている田村友絵さん。そんな彼女も、大学卒業後、一度は競技から離れたことがある。しかし、アルティメットとの縁はそれで切れはしなかった。今では“世界の強豪に勝つこと”を最大の目標に、仕事を行いながら、ストイックに競技と向き合っている。どのようなデュアルキャリア生活なのか、話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子
代表には無関心だった大学時代
中学・高校時代には、全国大会を目指すほどバスケットボールに打ち込んでいた田村友絵さん。彼女が『アルティメット』というスポーツに出合ったのは、大学入学後。友人からの誘いがきっかけだった。

『アルティメット』は、7人制フライングディスク競技。アメフトのフットボールがフリスビーに代わったスポーツ。縦100メートル、横37メートルのコートで、1チーム7人がプレー。パスをつなぎながら、タッチダウンを目指すもの。

入部の決め手を聞くと“まったく上手くできなかったから”という意外な答えが返ってきた。ラクロスやテニスなど、ほかのスポーツは体験会の場で、すんなりとできてしまう自分がいた。だから刺激も感じられず、興味が湧かなかった。ところが、アルティメットだけは違ったのだ。

「まったくフリスビーをうまく投げることができなかったんです。遠くへ飛ばすどころか、足元に刺さってしまって(笑)。できないことが悔しくて、だからこそ逆に『あ、やってみたい』という衝動にかられました」

実際に入部してみると『見る』のと『やる』のとでは大違いだった。

「日本ではマイナーなスポーツだし、男の先輩たちも見た目が“チャラそう”だったので、遊び感覚でいたんです(笑)。でも、実のところはまったく違いました」

“チャラそう”と思っていた先輩たちは、日本一を取るようなトッププレーヤーたちばかり。練習もハードに行っており、それが分かると、さらに競技への興味が湧いた。

もともとの身体能力の高さと、負けん気の強さがあいまって、田村さんはみるみる上達していった。そして、大学4年生の時には、世界選手権のA代表候補に抜擢。アルティメット界における将来有望な若手選手の一人となっていたが、自ら代表選考を辞退してしまった。果たして、その理由は何だったのか。

「正直、当時の私は代表にあまり関心がなかったんです。大学のサークル活動でアルティメットを続けたのは、単純に競技が面白いから。ただ、それだけでした」

そんな田村さんにとって、代表入りは予想も期待もしていなかった事態。“日の丸を背負う”という想いの強さは、自分と周囲とでは雲泥の差があることを感じた瞬間“私はこの場にいるべきではない”と考えたのだ。

「代表の選考会に参加したのも、偶然、大学の先輩が代表の指揮官をしていて、その方に勧められたからだったんです。そんな自分がいていいわけないなと…。レベルがというよりも、まずは代表としての心構えがない中で、代表活動をしていく自信がありませんでした」
競技から離れて気が付いた
”アルティメット”の楽しさ
しかし、どう転ぶかわからないのが人生。1年後、田村さんの気持ちは大きく変わった。

そのきっかけとなったのが、大学卒業後に初めて所属したチームだった。当時、田村さんは卒業後に競技を続けるつもりはなかった。そのため、就職した社会人1年目は仕事が忙しかったこともあり、アルティメットとはまったくかかわりをもたない日々が続いた。

ところが、社会人2年目となったある日、大学時代のチームメイトだった友人から“人数が足りないから試合に出てほしい”と声をかけられ、“趣味程度なら”という思いで、競技を再開。すると、1年ぶりに味わった思い切り走り回る感覚に大きな喜びを感じた。そして、再びアルティメットをやりたいという気持ちが沸々と込み上げてきた。

「チーム練習や試合がある土日にも仕事が入ることがあったのですが、とても自由なチームカラーで“できる時においで”といってもらえました。それだったら、できるかなと思い正式にチームに入ることを決めました」

しかし、いつの間にか、趣味の枠をこえてはまっている自分がいた。そして「気が付いたら、週末が休みの会社に転職をしていました(笑)」と田村さん。競技を続けたい一心で決めた転職への道に、何の迷いもなかった。ここまで魅了された理由は、所属したチームにあった。

「当時、私が入ったチームは、第一線を退いたものの、日本のアルティメット界をけん引してきたスゴ腕の選手ばかり。そこで、この競技の奥深さを教えてもらうことができたんです。大学時代の時は、仲のいい仲間と思い切り走り回れるのが楽しいと感じていました。でも、それだけじゃないなと。アルティメットは、技術・戦術・戦略はまだまだ未開発な部分が多い。だからこその可能性があって、それをチームが一つになって追求していく面白さを知ることができました」

田村さんによれば、アルティメットはオフェンス側が絶対的に有利なスポーツ。そのため、勝敗を分けるのはターンオーバーをさせるか否か。ディフェンス側がいかにオフェンス側のミスを誘引させるような戦略・戦術を図ることができるかが最大のカギとなる。その戦略・戦術を、チームで考えるのが醍醐味。そして実際に形になった時の快感は、言葉に表すことができないほどだという。(前編終わり)

田村友絵さん記事後編


(プロフィール)
田村友絵(たむら・ともえ)
1990年3月生まれ、東京都出身。成蹊大学に入学後アルティメットを開始。ポジションはハンドラーまたはミドル。主に「ハンドラー」と呼ばれるポジションを務め、パスをたくさん集めてハンドリング(処理)しながらゲームを組み立てる、いわばチームの司令塔としての役割を担っている。2016年WUGC世界アルティメット&ガッツ選手権大会日本代表ウィメン部門4位。2017年、第10回ワールドゲームズ日本代表疾風JAPAN(男女混合)で5位。平日は健康製品などを扱う企業に勤め、その後自主練習。土日にチーム練習を行う。MUD(マッド)所属。

※データは2019年5月1日時点
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