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2019年3月8日17時20分

元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へーVol.18ー元サッカー選手 添田隆司さん(前編)

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「勉強をしながらでもサッカーはできる」
元サッカー選手、添田隆司さんに話を聞いた


〜第18回目〜
添田隆司(そえだ・たかし)さん/25歳
サッカー選手→おこしやす京都AC代表取締役社長

取材・文/佐藤主祥

大学4年時に訪れた
人生最大の選択
アスリートの引退は、我々が思っているよりもずっと早い。プロ野球選手の平均引退年齢は30歳前後といわれているが、Jリーガーに至っては25歳前後。大卒で社会人になったビジネスパーソンなら、ある程度の仕事を覚え、これから一人前の戦力として力を発揮していこうという時期。それほどプロは厳しく、弱肉強食の世界だといえる。

東京大学運動会ア式蹴球部(サッカー部)を経て、2015年から約3年、J3の藤枝MYFCやアミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)でプレーした添田隆司さんも、24歳という若さでユニホームを脱いだ選手のひとり。だが彼は、あらかじめJリーガーとして活動する期間を『3年』と決めた上で、プロの世界に挑んだという。

「早稲田大学や慶應義塾大学など、他の大学を見渡すと自分よりもサッカーの実力や才能ある選手が沢山いました。けれども、普通に就職して、競技をズバッと辞めてしまうケースが多かったんです。それって、すごくもったいないことだなって。3〜4年ぐらいの期間であれば、ビジネスパーソンとしてのキャリアを積みながら、同時にサッカー含めスポーツに挑戦することだってできると思うんです。だから僕はデュアルキャリアという形で3年間、プロの世界に挑戦しようと決めました」

そもそも、東大出身のJリーガーは添田さんと久木田紳吾さん(ザスパクサツ群馬)の2名しかおらず、極めて珍しい。藤枝MYFCに入団するまでには、一体どのような経緯があったのだろうか。

「もともとプロになろうなんて一切思っていませんでした。中学時代には自分の実力に気がつき、サッカーに見切りをつけていたので、プレーするのは大学までにしようと決めていたんです。大学4年時には、大手商社である三井物産から内定をいただくことができたので、そのまま就職する予定でした。

ですがその時、藤枝MYFCの小山淳社長から声をかけていただいたんです。僕のことは全く知らなかったらしいんですけど(笑)、東京大学の選手がレベルの高い環境で練習したら劇的に上手くなるんじゃないか、という仮説が小山社長にあったんです。それに加え、スポーツ界の将来を考えて、若くて優秀な人材がどんどん入ってきてほしいという想いもあった。僕はその呼び水になるような活躍を期待され、誘っていただいたというわけです。

加えて、当時(2015年)はJ3リーグが新設されて2年目。同カテゴリーはどれぐらいのレベルなのか、そして自分の実力はどこまで通用するのか。僕の中で単純に興味が湧いた、というのも挑戦するきっかけとなりましたね」

だが、三井物産に就職していれば、安定した生活が待っていたに違いない。一方、J2の選手で一般的なサラリーマンと同程度の年収であるため、J3リーガーとしての生活はさらに厳しいことが予想される。添田さんの中で、藤枝MYFC入団への迷いは生じなかったのだろうか。

「サッカーか、三井物産か、という選択は人生で一番悩みましたね。藤枝MYFCからオファーをいただいてから2週間の猶予をもらったので、その期間は色々と考えました。でもやはり、この機会を逃したら2度とプロの世界に挑戦することはできないと思いましたし、サッカー選手になりたくてもなれない人は大勢いる。そう考えたら、プロへの挑戦権を得られた僕は幸せ者ですし、チャレンジしない手はないなと思ったんです。そして入団を決め、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせました」
プロ3年間で培った
“財産”を 未来の子供たちへ
J3の藤枝MYFCやアミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)でプレーしていた
藤枝MYFCとはアマチュア契約だったため、クラブスタッフとしても働いていた添田さん。小山社長の意向もあり、選手として練習をする傍、スポーツビジネスを勉強する日々が続いた。

「スケジュールとしては、午前中は練習、午後から夜の10時ぐらいまでは仕事をしていました。その後にも個別トレーニングをしていて、スピンバイクを全力で20秒漕いで、10秒休む。これを8セットやる“タバタ式トレーニング”をしていたんです。それを終えた後はもうヘトヘトで立ち上がれませんでしたね(笑)」

仕事は主にデスクワークが中心で、クラブの事業計画や経営計画を作成。時には、ホームタウンの一つである静岡県島田市の学童保育施設建設事業に携わり、市内の保育所を一軒一軒回りながらサッカーを通して子供たちと触れ合った。学童に通う約200人の子供とその親を対象としたスタジアム観戦ツアーも実施したという。

「選手としてプレーすることで、現場の気持ちを理解でき、クラブスタッフとしても仕事をしているからこそ、将来は経営に精通する貴重な人材になることができる。小山社長からはそういった意図から様々な仕事を任せていただきましたし、僕自身も同じ考えを持っていたので、デュアルキャリアという形でチャレンジしていきました。正直だいぶハードではありましたが、実際なんとかやれたので、全くできないことではないなと思います」

とはいえやはり、サッカー選手としては厳しい現実が待ち受けていた。J3といえども、周りは競技一筋で生きてきたアスリートばかり。大学まで経験してきたサッカーとの大きなレベルの差を体感し、圧倒された。

「自分の中である程度覚悟はしていましたが、予想通りかなりレベルが高くて、実力的に僕はチームの中でぶっちぎりの最下位スタートという感じでしたね。同じサッカーをしているはずなんですけど、捉えている世界の広さが全然違うんです(笑)。例えばパスを受ける時、大学時代なら静止している状態でボールを止めていたのが、Jリーグでは動きながらプレーするのが当たり前。みんな移動しながらパスを回し続けているんです。

だからなるべくスムーズに、次のパスを出すまで0.1〜0.2秒のタイムラグが生じないような位置にボールを止めないといけない。そうしないと全てのトラップがミスだっていわれてしまうほどのレベル。大学までに培ってきたプレーのほとんどが、プロの世界では通用しない。それに気がついた時は本当に自信をなくしました」
3年間プロとして計10試合に出場した添田さん。24歳でユニホームを脱ぐことになった
そんな中、入団してから1カ月後にサッカー選手としての転機が訪れた。2015年の5月に怪我人が続出したため、それまで出番のなかった添田さんに出場機会が回ってきたのだ。それを機に5〜6試合連続で試合に出ることに成功。夢だったプロのピッチを駆け回った。

しかし、その後はしばらくベンチ外が続き、2年目は1年間不出場。3年目の2017シーズンでは2試合に出場した後、8月に関西サッカーリーグ1部のアミティエSC京都に移籍することになった。同クラブではコンスタントに試合に出ていたが、シーズンオフに現役を引退。プロとしては3年間で計10試合に出場した。当時まだ24歳という若さで、ユニホームを脱ぐことにためらいはなかったのだろうか。

「もちろんありましたね。この世界でサッカーを続けていれば、もっと選手として上のレベルにいけると、そういう気持ちは持っていました。ですが、もしこれから現役をあと3年続けたとして、この期間を選手として過ごすのと、社員に専念して働くのとでは、後者の方がクラブに貢献できるのではないか、そう思ったんです。

というのも、2017シーズンのアミティエSC京都は、JFLまであと1勝というところで昇格を逃しました。その時、僕はものすごく悔しくかったので、翌年には選手としてJFLに昇格させたいという想いがあった。でも、それって期間としては1年間の話なので、もっと長期的にクラブに貢献できる道を考えれば、ユニホームを脱いでスポーツビジネスをもっと勉強した方がいいなって。もともと小山社長とも“デュアルキャリアという形で3年やろう”ということを話していたこともあり、このタイミングでの引退を決意しました」

添田さんの中で、補強などにより選手層が厚くなった藤枝MYFCの2017シーズンに、コンスタントにメンバー入りしながら試合にも出られたことが、選手人生で特に大きな経験になったという。

そして、次世代の子供たちに対して『勉強をしながらでもサッカーはできる』。そう自信を持っていえるようになったことが、3年間のデュアルキャリアで培った大きな“財産”だ。(前編終わり)

添田隆司さん記事後編


(プロフィール)
添田隆司(そえだ・たかし)
1993年生まれ、東京都出身。2015年、東京大学経済学部卒業。大学4年生12月にJ3の藤枝MYFCからオファーを受け『史上2人目の東大卒Jリーガー』として選手兼任社員で加入。2017年8月にアミティエSC京都(現:おこしやす京都AC)に移籍するも、あと1勝でJFL昇格を果たせず、2017年12月に現役を引退。現在は、おこしやす京都ACの代表取締役社長に就任。

※データは2019年3月8日時点

※スポーツ庁委託事業「スポーツキャリアサポート戦略における{アスリートと企業等とのマッチング支援}」の取材にご協力いただきました。
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