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2018年9月20日18時48分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ- Vol.13– 元サッカー選手 菊池康平さん~後編~

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元サッカー選手、菊池康平さんに話を聞いた
~第13回目~
菊池康平(きくち・こうへい)さん/36歳
サッカー選手→アスリート就労支援事業、講演、執筆

取材・文/斎藤寿子

菊池康平さん記事前編
「海外挑戦」を再スタートさせた入社4年目
大学卒業後、菊池さんは総合人材サービス会社の大手、パソナに入社。なぜパソナを就職先に選んだのか。

「本当は、大学卒業後も1、2年くらいは海外に行って挑戦したいと思っていたんです。でも、親からも心配され、サッカーを逃げ口にするのは嫌だなと。それで就職活動をしたのですが、サッカー以外でやりたいことなんてなかったので、ことごとく落ちたんです。当然ですよね、熱意がないですから(笑)。

でもパソナは、一緒に試験を受ける同世代の人たちが魅力的だったんです。例えば、海外にボランティアに行ったとか、ちゃんと軸をもって自分の人生を歩んでいるように感じて。なんだかちょっと親近感を抱いて、『こんな仲間と同じ場所で働ければ楽しそう』と思うようになり、最終的に内定をいただくことができたんです」

それでも菊池さんは、やはりサッカーを諦めることができなかった。卒業旅行にも行かず、入社式直前までマレーシアでプロテストを受け、ギリギリまでその道を模索していたが、プロ契約には至らなかった。

予定通り入社したパソナでは、人材派遣の法人営業を担当。転職を希望する人と、人材を探している企業とのマッチングが主な仕事だった。一見、サッカーとはなんら関係のない仕事だが、実は海外での挑戦が仕事に活かされたこともあったという。

「転職を希望する人と企業、双方から異なった意見を伝えられることがあるんです。そんな時に、どうすればうまく対処できるかというのは、海外でプロテストを受けた時に培ったコミュニケーション能力が役立ちましたね。

言葉がわからない海外では、こちらの意図が上手く伝えられず、誤解を招くこともありますが、結局は人と人との関係がうまく構築できれば、解決できるものです。なので、仕事でも何かあった時には、電話やメールで済ませずに、必ず相手に会ってお話し、信頼関係を構築するようにしていました」

そんなふうに仕事に充実感を感じながらも、やはりサッカーのことは諦めることができなかった。菊池さんは入社後も毎年、夏季や年末年始の休暇を利用して海外へ。

チームの練習に参加し、プロとしての素質があるかどうかを見極めてもらうためには、圧倒的な実力があれば話は別だが、最低でも1カ月くらいは要する。しかし、会社の長期休暇は1週間あるいは9日ほどしかなく、プロになることはほぼ不可能だった。それでもテストを受けに行っていたのは、挑戦し続けてきた自分自身の感性を錆びつかせなくなかったから。

“いつかチャンスがあったら、海外のリーグでサッカーをしたい。でも、そんなチャンス、待っていても一生来るわけない……”

そこで一念発起して会社を休職。1年間、海外に挑戦しに行くことを決めた。当時の直属の上司が元ラガーマンで、スポーツに情熱を注ぐ菊池さんの良き理解者であったこともあり、また会社も挑戦する社員を応援するという社風だったことから、会社の了承を得て、社会人4年目にして、再び“プロの道”を目指すことを決意した。
念願叶いプロ契約した“ボリビアの奇跡”
ボリビアでプロ契約をした菊池さん。現地では取材を受けることもあった
ところが、最初に訪れたシンガポールでは3年間の練習不足でほとんど何もできずに終わり、本当の勝負の場と考えていたパラグアイでは、理不尽なことがあり2週間で練習を切り上げざるを得なかった。次に行くあてがなかった菊池さんだが、なんとか人づてに紹介を受け、向かった先がボリビアだった。

すると、そこで“奇跡”が起こった。チームに合流した初日、練習試合が行われた。本来はフォワードだが、菊池さんは「センターバックです」といった。世界的に強豪ではない日本のサッカーに抱くマイナス感情はどこも一緒で、パラグアイでは“ボールを渡してもムダ”とばかりに、ほとんどボールが回ってくることはなかった。そのためディフェンダーとしてアピールすることを考えたのだ。

遊びでしかやったことがなかったディフェンダーというポジションだったが、相手チームがゴール前に何度もセンタリングを上げてきたため、長身を活かし、跳ね返し続けた。さらに、適当に蹴っていたロングパスがグラウンドの凹凸のお陰で絶妙なパスとなり、偶然試合を観ていたチームのオーナーが『あの日本人を他のチームに行かせるな。すぐに契約だ』と絶賛。初めてプロとして契約書にサインをした。

「ボリビアは貧しい国なので、いろいろと大変なこともたくさんありました。チームメイトから意地悪されたこともありましたしね。でも、とにかくサッカー漬けの毎日を送れる日が来るなんて、本当に嬉しかったですね!」

だが、チームとプロ契約したもののパラグアイから国際移籍証明書が一向に届かず、試合に登録することができず、実際は一度も試合に出場することができなかった。それが、今も心残りだという。
『できる理由』を探して挑戦することが大切
現在はパソナで、アスリートの競技と仕事の両立を支援する「スポーツメイト事業」の責任者として、スポーツに携わる人のキャリア支援も行っている
翌年、菊池さんは約束通り復職。その後、5年間勤務する間も“チャレンジ精神を錆びさせたくない”と、夏季と年末年始の休暇は、ほぼ全て海外リーグの練習に参加した。

しかし、今度は単に練習に参加しただけではなかった。カンボジアなどに行く際には、日本からボールや古着を持って行ったりするなど、自分にできる社会貢献活動を始めたのだ。

そして、2014年6月にパソナを退職。当時32歳で、年齢や体力を考えても、今を逃したら後悔すると思い決断したのだ。退職後は半年間、ラオス、インド、カンボジアに行ってテストを受け続けた。しかし、ブランクは大きく、また数年前よりも東南アジアの若い選手のレベルも上がっている中で、予想以上に”プロの道”は遠かった。

現在は、もともと勤務していたパソナで、アスリートの競技と仕事の両立を支援する「スポーツメイト事業」の責任者として、現役アスリートや引退した競技者、指導者など、スポーツに携わる方々のキャリア支援を行っている。

「スポーツと仕事の両立を支援する取り組みを行っています。またパソナでは、スポーツのみならず、音楽家など芸術の分野でもこの取り組みを進めています。自身の経験から、一人ひとりの気持ちがよく分かるので、選手たちをさまざまな面からサポートしていきたいです」

2018年6月には、菊池さんが主体となり、JリーガーやBリーガー、ラグビー選手など15名程度を集め、スポーツ選手が引退後の人生を踏まえ今取り組むべきことを考えるセミナー『アスリートキャリアデザイン』を開催。現役中から引退後に向けてどのようなことができるのか、セルフデザインやSNSの活用方法など、専門的な講師をゲストに呼び、現役選手たちに有益となる時間を提供した。

異色の人生経験を持つ菊池さんが得た人生訓は“自分から動けば、何かしらの道が開ける”というもの。海外から帰国し、日本で仕事をしていくにしても最初はパソコンもなく、まさにゼロからのスタート。

そこで近所のマンガ喫茶から、さまざまなメディアにメールで自らの経験談を送り続けた。そこからメディア出演のオファーや、記事執筆などの仕事が舞い込むようにもなっていった。仕事をしていく上で、大切にしていることは何なのだろうか。

「私は、英語もできないし、何のあてもないのに、海外に行ってサッカーができた。最終的には、プロ契約をすることもできたし、いろんなものを得ることができたんです。だから何をやるにも『できない理由』を探すのではなく『できる理由』を探して挑戦する。それが仕事をしていく上でも一番大切なことだと思います」

菊池さんの挑戦する気持ちは、今も続いている。
(プロフィール)
菊池康平(きくち・こうへい)
1982年生まれ、兵庫県出身。大学時にバイトを繰り返し貯金ができたら 海外のサッカーチームのトライアウトに出かける日々を過ごす。複数の国へ道場破りの様な形で挑戦するもプロ契約出来ず、大学卒業後にパソナに就職。海外でプロサッカー選手になる夢を諦めきれず、入社し丸3年が経った2008年6月に会社を1年間休職し海外へ。同年8月にボリビアの1部リーグに属するCLUB DEPORTIVO UNIVERSIDADとプロ契約。2009年復職。その後も夏季休暇や年末の休暇を利用し、海外のチームへ。16カ国で挑戦した経験を活かすため、パソナにてアスリートのキャリア支援を行うほか、講演やライター活動に従事している。 HP:元ボリビアリーガー&道場破り男菊池康平 公式サイト!

※データは2018年9月20日時点
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