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2018年4月25日13時42分

IPC公認教材『I’m POSSIBLE』を通して日本はどう変わるのか? 開発・普及に注力しているマセソン美季さんに聞いた(前編)

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『I’m POSSIBLE(アイムポッシブル)日本版』の開発・普及に注力しているマセソン美季さんに“パラリンピック教育”の現状について話を聞いた
2018年平昌五輪・パラリンピックの幕が閉じ、いよいよ次に迎えるのが2020年東京五輪・パラリンピック。世界からの注目度もますます高まることが予想される中、本番での成功はもちろん、その先に何を残すかが問われており、その一つとして、パラリンピックへの理解や浸透が挙げられている。そこで現在、日本財団パラリンピックサポートセンターで、国際パラリンピック委員会(IPC)公認の教材『I’m POSSIBLE(アイムポッシブル)日本版』の開発・普及に注力しているマセソン美季さんに“パラリンピック教育”の現状について話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子
20年前に米国で知ったインクルーシブ社会
2016年から、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)で、推進戦略部プロジェクトマネージャーとして、パラリンピック教育や国際貢献事業を手掛けているマセソン美季さん。現在、家族4人で暮らしているカナダと日本を頻繁に行き来している。

小学生と中学生の2児の母親でもある彼女にとって、それが決して簡単なことではないことは容易に想像できる。“家族の協力あってこそ。夫には感謝しきれない”とマセソンさん。それほどの苦労をしてでもパラ教育に注力するのは“パラリンピックを通して日本の社会がより良くなってほしい”という思いがあるからにほかならない。

マセソンさんは、大学1年の時に交通事故で車いす生活となり、その後、陸上やアイススレッジスピードレースの選手として活躍。1998年長野パラリンピックでは3つの金メダルを含む4つのメダルを獲得した。

大学卒業後は、障がい者スポーツの名門で数多くのメダリストを輩出している米イリノイ州立大学に留学。留学中に出場した車いすのロードレースで再会したアイススレッジ(現パラアイスホッケー)選手と卒業後に結婚し、カナダへと渡った。それ以降、約20年間カナダで暮らしてきた。

米国やカナダでの生活によって、マセソンさんが感じてきたのは、障がいのある人に対する概念だ。障がいのある人たちに対する接し方はまるで違っていたという。例えば、イリノイ大学に入学したばかりのころ、トレーニングをしたいと思い、大学のスタッフにこう尋ねた。

「障がい者スポーツセンターは、どこにありますか?」すると「そんなのないですよ」という答えが返ってきたという。

「そんなはずはない。私の英語が通じていないのかも…」と不安そうにしている彼女に、スタッフは不思議そうにこういったのだ。

「なぜ、わざわざ健常者と障がい者を分けるような、そんな面倒なことをする必要があるの?」その時の衝撃にも似た驚きは、今も鮮明に覚えている。

「当時の日本では、障がいのある人がトレーニングをしたいと思ったら“障がい者スポーツセンター”で、というのが常識でした。ところが、イリノイで案内されたのは一般の学生たちが使用しているジムだったんです」

この時、それまで知ってはいたが、どういうものかイメージできずにいた『共生』『インクルーシブ』という言葉の意味が、ようやくわかったような気がしたという。
ロンドンパラリンピックで示されたパラ教育の重要性
ロンドンパラリンピック前に製作された教育プログラム『Get Set』。そのおかげで、自発的にパラリンピックを見てみたいという子どもたちが急増したという
それから約20年、日本も徐々に障がい者や障がい者スポーツへの理解が深まってきたと感じている。だが、ともするとハード面の方にばかり目がいきがちで、人と人との触れ合いという点においては、まだ希薄に感じることが少なくない。

マセソンさんは“車いすに乗っている私を見る目は、20年前とはあまり変わっていない気がする”と感じている。その原因の一つは『身近ではないこと』が考えられるという。だからこそ、国内での移動は電車やバスなどの公共交通機関を利用している。自分たち車いすユーザーがもっと街中に出ていき『知ってもらう』『身近に感じてもらう』ことが必要だと感じているからだ。そして、何より重要なのが子どもたちへの教育だと考えてきた。

「どこの国の子どもたちも、初めて障がいのある人に出会った時の反応というのは同じなんです。でも、その子が中学生・高校生、あるいは20歳の大人になった時の反応・対応というのは違っていて、それは周囲の大人の考え方だったり、教育環境に大きく影響されるのだと思うんです。だからこそ、教育はとても重要だと考えています」

その代表例が、2012年ロンドンパラリンピックだ。初めて270万枚のチケットが完売し、五輪にもひけをとらないほどの盛り上がりを見せた同大会は『パラリンピック史上最大の成功』といわれている。しかし、実は開催が決まった当初に行われた世論調査で”パラリンピックに観戦に行きたい”と答えた人は、ほぼ皆無だったという。東京開催が決まった当初の日本と、ほとんど変わらない状態だったのだ。

そんな中、成功のカギのひとつとなったのが、子どもたちへの五輪・パラリンピック教育プログラム『Get Set』だった。五輪だけでなく、パラリンピックにおいても、子どもたちが障がい者や障がい者スポーツを理解し、パラリンピック競技や選手を身近に感じさせる工夫がなされた『Get Set』によって、自発的にパラリンピックを見てみたいという子どもたちが急増。それに伴って、その家族にも浸透していったという経緯がある。

IPCも、ロンドンパラリンピックが残したこのレガシーを世界へと広げていきたいという意向を示す中、世界共通のパラリンピック教育プログラムの共同開発に乗り出したのが日本パラリンピック委員会(JPC)。

”東京大会の成功には、パラリンピック教育が重要”というJPCの考えに賛同したパラサポの人材派遣や資金面での協力を得て、2016年に開発事業がスタート。そして、その日本版の開発リーダーに抜擢されたのがマセソンさんである。(前編終わり)

※データは2018年4月25日時点

後編はこちらから
(プロフィール)
マセソン美季(ませそん・みき)
1973年7月17日生まれ。大学1年生の時に交通事故で車いす生活に。1998年長野パラリンピックでは、アイススレッジスピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。その後、カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚しカナダ在住。2016年からは、日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部プロジェクトマネージャーを務め、2020年東京パラリンピックに向けて、パラリンピックムーブメントの推進に取り組む。
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