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2017年12月22日15時26分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ- Vol.11–元野球選手 奥村武博さん~前編~

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元プロ野球選手として初の公認会計士となった奥村さん
~第11回目~
奥村武博(おくむら・たけひろ)さん/38歳
プロ野球選手→公認会計士(オフィス921 スーパーバイザー)

取材・文/斎藤寿子
4年で終えたプロ野球人生
その先には『厳しい現実』が待っていた
「多くのアスリートにいいたいのは“自分はスポーツしかしてこなかったから、他に何もない”のではなく、スポーツを懸命に続けてきたからこそ培われた力があるということです」

こう語るのは、元阪神タイガース投手の奥村武博さん。高校卒業後、プロ野球選手になり、引退後『合格率10パーセント』という“超”狭き門をくぐり抜け、公認会計士となった異色の経歴を持つ人物だ。

奥村さんは高校3年生の秋、プロ野球ドラフト会議で、阪神から6位で指名を受けた。小学生の時からの夢が叶い、意気揚々とプロの世界に入ったが、わずか4年で解雇。セカンドキャリアとは無縁の世界で生きてきた22歳の青年に、突如突き付けられたのは「厳しい現実」だった。

それでも、1年目はまだ良かった。球団が打撃投手として雇ってくれたからだ。しかし、それもわずか1年で契約を打ち切られ、奥村さんは再び冷たい風が吹きすさぶ“荒野”へと放り出された。

「自分はこの先、どうやって生きていけばいいんだろう…と途方にくれました。プロ野球選手ではなくなった瞬間、無職で収入はゼロ。何をやればいいのか、何ができるのかさえも分からない状態でした。“ただ無駄に大きい体しかない”というマイナスな考えしか出てこなかったんです」

とにかく働き口を探さなければいけない。すぐに思いついたのは『飲食業』だった。その理由は“現役時代に接していた外の社会といったら飲食業くらいで、ほかの選択肢が出てこなかった”から。自分がやりたいことなのか、そして自分に適したものなのか。そんなことを考える余裕はなかった。

「友人が経営するバーを手伝ったのですが、そこは想像していたのとはまったく違う世界でした。現役時代、先輩にいろいろなお店に連れて行ってもらって、飲食業界にも何人か知り合いができていましたから、自分では『よく知っている世界』なんて思っていたんです。でも、それはただの思い上がりで、カウンターの外(客)と中(従業員)とでは、全く景色が違っていて…。考えてみれば当然のことなのですが、いつも自分に向けられていた笑顔の裏に、これほどまでに厳しさがあるとは、想像していませんでした」

しかし、元来真面目な性格の奥村さんは“やるからには、きちんと技術を身に付けよう”と、働きながら専門学校に通い、調理師の免許を取得。その後、将来のことを考えた末に、ホテルの調理場に転職した。だが、依然として“これが本当に自分のやりたいことなのだろうか?自分に合った仕事なのだろうか?”というモヤモヤした思いは解消できないままだった。
高校卒業後、阪神タイガースに入団した奥村さん。しかし22歳で解雇という厳しい現実を突き付けられた。写真・月刊タイガース
運命的な「出合い」には
多くの壁が立ちはだかった
悶々としながら、向かう道を模索していた2004年の秋、目にした1冊の資格ガイド本が、人生を変えるきっかけとなった。

「まず、世の中にはこんなにも多くの職業があるのかと驚きました。それと同時に、自分がいかに狭い社会で生きてきたかを痛感したんです。そんな中、何気なくパラパラとめくっていく中で、目についたのが『公認会計士』でした。“高校時代に取得した簿記も役に立つかもしれない”と感じ、挑戦することにしました。後で調べたら合格率10パーセントという超難関の資格だったのですが、当時は知らなかったので(笑)。まず、やってみようと勉強を開始しました」

それは、まさに『運命』といってよかった。実は、ちょうどその2年後から受験資格がなくなり『高卒』の奥村さんも受験できるようになることが決定していたのだ。

「一般的に試験を受けるまでには、2年ほど予備校に通わなければならないんです。だから、今から予備校で勉強すれば、ちょうど2年後には試験を受けられるようになっているということで、もう僕のために制度が変更されたんじゃないかと思えるくらい、最高のタイミングでした」

しかし、すぐに壁が立ちはだかった。体を動かすことを生業としてきた奥村さんにとって難しかったのは、机に向かう『癖』をつけること。はじめのうち、集中力は10~20分が限界だったという。

それから4年後、3度目にして、ようやく一次試験に合格。しかし、二次の論文式試験でつまずいた。この二次試験に3度失敗すると、再び一次試験からのやり直しとなる。奇しくも、それを業界では『三振』と呼ぶ。そして、これまで『三振をさせる側』だった奥村さんは『三振をする側』となり、振り出しに戻ってしまった。

「この時が一番辛かった時期ですね。もう一度、勉強し直さなければいけないと思うと、合格する自信がまったくありませんでした。“もう十分頑張ったし、諦めて他の道を進もうかな”という気持ちが強くなっていったんです。完全に心が折れました」

しかし“一番近い存在”の人が、それを許さなかった。当時彼女として付き合っていた、現在の奥さんだ。

「ここで逃げたら、この先ずっと言い訳をし続ける中途半端な人生を送ってしまう。今あなたに必要なのは、何かを成し遂げたという自信。だから絶対にあきらめちゃだめ」

その言葉が胸に突き刺さり、奥村さんは再び挑戦することを決めた。そして、そんな中救ってくれたのは、野球選手として積み上げてきた自分自身の経験だった。

「ただテキストを読むのではなく、問題を解いたりするなどして、自分自身の作業を増やしていくことで、自然と集中する時間が伸びるような工夫をしたんです。でも、それって考えてみれば、野球の時と一緒なんですよね。野球でも、必ず壁にぶち当たる時がある。その時に『じゃあ、ちょっとフォームを変えてみよう』とか『あの打者には、こういう配球でいってみよう』というふうに工夫してきました。そういう思考力が養われていたからこそ、勉強でも自然と工夫して壁を乗り越えようとできました」

2013年11月、ついに公認会計士の試験に合格 。「運命的な出合い」から、9年の月日が経っていた。(前編終わり)

後編はこちらから。
(プロフィール)
奥村武博/1979年生まれ、岐阜県出身。97年のドラフトで阪神タイガースから6位指名を受ける。肘、肋骨、肩などの故障を繰り返し、2001年オフに戦力外通告を受ける。翌年は打撃投手として契約するも、1年で解雇。バーやホテルなどで働き、04年から公認会計士の資格取得を目指し13年に合格。14年から監査法人に勤務。2年間の実務経験と修了考査を終え17年6月に公認会計士登録。元プロ野球選手として初の公認会計士となる。17年10月より税理士法人オフィス921にて勤務。と同時に、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構を設立し代表理事に就任。

※データは2017年12月22日時点
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