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2017年9月11日11時02分

車いすバスケットボールプレーヤー香西宏昭 歩み続けるプロとしての厳しい道(後編)

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車いすバスケットボール選手、香西宏昭に「プロ」としての生き方を聞いた(撮影協力:千葉県障害者スポーツ・レクリエーションセンター)
2020年東京パラリンピック開催が決定して以降、パラリンピック出場を目指す選手たちの「働く」環境は一変したといっても過言ではない。その多くが、競技に専念することのできる「アスリート契約」というかたちによる社員としての雇用だ。では、日本人のパラリンピック選手の中に「プロ」が存在しないのかといえば、そうではない。少ないながらも、競技を生業としている選手はいる。車いすテニスの国枝慎吾がその代表例だが、車いすバスケットボール界にも存在する。大学時代から海外を拠点とし、現在はドイツのブンデスリーガでプレーする香西宏昭だ。今回は、彼が歩んできた道のりを辿りながら、香西が考える「プロ」としての生き方について話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子

《車いすバスケットボールプレーヤー香西宏昭 歩み続けるプロとしての厳しい道(前編)》
海外を諦め日本でのプレーも考えた
大学卒業後、香西はハンブルクとプロ契約を結び、ドイツブンデスリーガで世界のトッププレーヤーたちと鎬を削り合ってきた。しかし、ハンブルクと契約するまでには紆余曲折あり、一時はヨーロッパでプレーすることを断念し、日本への帰国を考えたこともあった。

香西が本格的に動き始めたのは、大学卒業間近の頃。まず最初に交渉したのは、イタリアのチームだった。

「イリノイのチームメイトだったアメリカ人選手と『また同じチームでやりたいね』という話をしていたんです。それで、彼が行こうとしていたイタリアのチームと交渉していたのですが…」

結果的に、そのチームが獲得を決めたのはアメリカ人選手ひとり。香西は交渉を打ち切られてしまった。その後、スペインリーグのチームからのオファーが届いた。だが、リーグやチームについて調べていく中で、香西は「自分が行くべき場所」とは思えず、そのオファーを断った。

そうこうしているうちに、気付けば7月。9月に開幕するヨーロッパのリーグでのスカウティングは、ほとんどが終了している時期。“これは、もう日本での活動を考えなければいけないかもしれない…”香西にも、焦りが出てきていた。

そんな中、香西の元に一通のメールが届いた。それは、イリノイ大のチームメイトだったドイツ人の女子選手からだった。香西が所属チームを探していることを知った彼女は、自分が所属するハンブルクのヘッドコーチ(HC)に紹介しようとしてくれたのだ。それは香西にとって、願ってもない話だった。

「それまでのハンブルクは、1部と2部をいったりきたりするようなチームだったんです。でも、これからはプロ化させて本格的にチーム強化を進めて、4、5年後のリーグ優勝を目指そうとしていると。その話を聞いて、変わろうとしているチームで戦うというのも面白そうだなと思いましたし、これから成長していこうというチーム方針が『もっと強くなりたい』という自分の思いと合っていると感じました」

こうしてハンブルクへの加入が決まり、香西は2013年、プロ活動をスタートさせた。
プロとしてあるべき姿は「成長」
2017-18シーズンは、新天地となる「RSV ランディル」で戦う香西。新たな挑戦に臨む(2017年3月撮影)
1年目の2013-14シーズン、それまで最下位争いがほとんどだったハンブルクは、リーグ5位と躍進し、主力としてチームに貢献した香西は、得点ランキング3位に輝いた。しかし、心の中ではある疑問が消えなかった。

“自分はプロ契約をしたけれども、いったいプロってどういうことなんだろう…”

やがてチームがプレーオフに進出するようになり、チームメイトと共に成長していると手応えをつかんだ2、3シーズン目も、その疑問に対する明確な答えを見つけることができずにいた。

「バスケをやることで給料をもらっているという点では、確かにプロになったかもしれないけれど、練習環境や練習量という点では『これでいいのかな』という疑問点もたくさんあったんです」

前述したように、ブンデスリーガはプロチームや選手ばかりが集まるプロリーグではない。プロ契約の選手とそうではない選手が混在する一方で、ひとりもプロ契約を結んでいないチームもある。つまり、クラブリーグ、クラブチームの中に、プロ選手が存在するという構図となっている。

特に、チームのプロ化を目指そうとし始めたばかりの当時のハンブルクには、香西が探していた「答え」はなかったのだろう。香西自身が模索するしかなかったのだ。

今年プロ5年目を迎えようとしている今、ようやくつかんだものがある。それは『プロとしてあるべき姿』だ。

「プロというのは、周りから『見られる』存在だと思うんです。そうであるならば、常に成長し続けようとしていく姿を見せることが大事。それは、プレーヤーとしてだけでなく、一人の人間としても。それが、僕が考えるプロです」

より厳しい競争が待ち受けているランディルへの移籍を自ら希望したのも、そのひとつであることは間違いない。

大学時代から海外でプレーし、卒業後はプロとして世界のトッププレーヤーたちと鎬を削り合ってきた香西は、これからパラリンピックを目指そうとする子どもたちや若い選手たちにとって、憧れの存在でもある。香西が切り拓いてきた道は、後輩たちへと継承されていくはずだ。

「プロというのは聞こえはいいけれど、やっぱり厳しい世界です。1年1年、常に勝負。とにかく何が何でも結果を残し続けなければいけない。相当な覚悟が必要です。僕自身、考えが甘かったと思っています。真のプロになるって、やっぱり難しいことだなぁと、つくづく思うんです。でも、自分を成長させるには一番の選択だったなと。たくさんの方々の支えがあったからこそ、僕はプロとしてやれているので、しっかりと成長した姿を見せ続けていきたいと思います」

新天地での挑戦に臨む2017-18シーズン、香西はプレーヤーとして、人として、さらなる飛躍を遂げる。
(プロフィール)
香西宏昭(こうざい・ひろあき)
1988年7月14日生まれ、千葉県出身。12歳で車いすバスケと出会い「千葉ホークス」に入団。高校時代に2度の日本選手権MVPに輝く。高校卒業後、渡米。2010年にイリノイ大学に編入し、全米大学選手権優勝を果たす。13年よりプロ車いすバスケプレーヤーとしてドイツブンデスリーガ「BG Baskets Hamburg」で中心選手として活躍。今シーズン、強豪「RSV Lahn-Dill」に移籍した。日本では「NO EXCUSE」に所属。08年北京、12年ロンドン、16年リオパラリンピック日本代表。

※データは2017年9月11日時点
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