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2013年以降の「急変」(前編)

2017年2月23日11時02分

パラアスリートの就職事情
2013年以降の「急変」(前編)

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障がい者アスリート雇用を支援する「つなひろワールド」の竹内圭氏に話を聞いた
今、日本のパラスポーツ界は、急激な動きを見せている。2020年東京五輪・パラリンピックの開催が決定した2013年以降「パラリンピック」への関心が高まり、障がい者スポーツには「競技」としての側面があることが広く認知されるようになった。今やパラリンピックを目指す選手たちは「アスリート」であり、2013年以前は「社員として働きながら」だった競技生活は、今ではアスリート契約を結び、競技優先の環境を提示されることも少なくない。

障がい者アスリートの雇用を支援する「つなひろワールド」代表取締役社長の竹内圭氏は、そんなパラスポーツの「急変」を目の当たりにしてきた一人。その竹内氏に、パラスポーツ界の「就職事情」について話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子
事業本格化のスイッチが入ったのは
ロンドンで見た「勝負の世界」
竹内氏が、以前勤めていた親会社から新規事業として、障がい者アスリートの雇用支援事業の担当を命じられたのは、2012年。それまで新卒採用に関わる仕事をしていた竹内氏だが「障がい者スポーツ」とは無縁で、はじめは右も左もわからない状況だったという。2020年東京五輪・パラリンピックの開催が決定していなかった当時「パラリンピック」「障がい者スポーツ」に目を向ける人たちは、ごくわずかだった。

「正直、なんで僕なんだろうと思いました。障がい者スポーツは、大学の授業で少し学んだくらいで、何の知識もなかったですからね。ただ、仕事なので『やるしかないな』と。特別に熱い思いがあったわけではなかったんです」

しかし、大学も体育専門学群を卒業するなど、スポーツには強い関心を持っていた竹内氏が、この事業に強い思いを抱くようになるのに、そう時間は要しなかった。きっかけは、その年に行なわれたロンドンパラリンピックだった。

「とりあえず、観に行かなければ何も始まらないと思ったんです。ロンドンで最初に感じたのは『これが世界で戦うということなんだ』ということでした。想像していたよりも、はるかにレベルが高くて驚きましたし、選手たちが4年間かけてきた思いが伝わってきて、本当にスポーツの世界だと感じたんです」

そして、こう思った。

「これは簡単に立てる舞台ではないし、簡単に勝てる世界でもない。ならば、日本の選手たちの環境を変えていかなければいけない」

竹内氏の“スイッチ”が入った瞬間だった。
懸念される「バブル時代」の弊害
全国各地でセミナーを行う竹内氏。ロンドンパラリンピックが転機となった
ロンドンパラリンピックから約3カ月後の12月、4人の選手の採用が決定。竹内氏が「つなひろワールド」に出向して以降、初めての実績だった。背景には、自分自身の変化があったと語る。

「ロンドン前も、企業セミナーを開催したり、営業したりはしていたのですが、ほとんど相手にされませんでした。今考えると、当然だったのかなと。パラスポーツや選手たちのことをよく知らなかった僕の説明と、ロンドンに行って、パラリンピックの世界を知った僕とでは、説得力や伝わるものが全く違っていたと思うんです。自分でもロンドン後のセミナーは、熱さ全開で神がかっていたなと(笑)」

しかし、それ以降も順当だったわけではない。国内ではパラスポーツへの関心は低く、竹内氏としても障がい者アスリートを雇用するメリットを見出すことに苦戦を強いられた。

「セミナーに参加していただいて、アポイントを取っても、結局は『うちは障がい者雇用をしたいと思っているだけで、スポーツを応援したいわけではないからね』と言われることがほとんどでした。企業としては、競技中心にと考えているアスリートよりも、フルタイムで働ける人を採用したいと思っていたんです」(前編終わり)
《プロフィール》
竹内圭(たけうち・けい)
1984年茨城県生まれ。筑波大学体育専門学群を卒業後、株式会社ザメディアジョンに入社し、採用コンサルティング業務に従事。2012年、株式会社つなひろワールドの常務に就任し、2015年1月より代表取締役に。障がい者アスリートと企業をマッチングする「障害者アスリート雇用支援事業」を展開しているほか「障害者法定雇用率達成のための勉強会」など、全国各地で講演・セミナーを開いている。HP:つなひろワールド

※データは2017年2月23日時点
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