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2016年11月28日16時36分

元アスリートが語る スポーツの仕事「やる」から「つくる」へ- Vol.9–元スカッシュ選手 渡辺祥広さん~前編~

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「金銭感覚? いつか狂ってみたいですねぇ(笑)」
~第9回~
渡辺祥広(わたなべ よしひろ)さん / 46歳
スカッシュ選手→スカッシュクラブ経営(「エスキューブ」キャプテン)
会社を辞めてイギリスで武者修行
資金は貯めた200万
「最初は“これ、あんまり面白くないな”って思たんですよ」

リトルリーグから高校まで、ずっと野球一筋だった渡辺祥広さんがスカッシュとの出会ったのは1988年、大学1年生の時。高校時代、親しかった先輩に誘われたのがきっかけだった。

「先輩に無理矢理サークルに入らされちゃって(笑)。でも、大学にスカッシュコートなんて無かったから、世田谷のキャンパスから遠く離れた豊洲のスポーツクラブに通っての練習です。今思うと、そこでバイトを始めたのが大きかったですね。学校で押さえている練習時間以外にも使えるし、段々、面白さがわかってきたんです」

大学4年生の時には、全日本学生選手権で優勝を飾るほどの実力者に。
大学を卒業して就職。しかし2年で退職し、スカッシュの聖地イギリスへ向かう
卒業後は、スカッシュラケットの輸入販売もしていた大手商社に入社。そこで、ラケット販売の営業やコーチの派遣といった仕事をしていたが、2年後、突然会社を辞めてイギリスへと向かう。当時、イギリスはスカッシュの中心地で、コートも選手数も世界で一番だった。

「留学っていうよりは武者修行ですね。資金はサラリーマン時代に貯めた200万円。『これを使い切るまでは居るぞ』って決めていました。頼みのツテは、日本で紹介してもらったコーチの電話番号と住所だけ。何とかその人の家にホームステイさせてもらって、練習環境なんて知りもしない状態からのスタートです。あの頃、インターネットはまだ一般的じゃなかったから、調べようもなかった。だから、コートのある場所を訪ねては練習相手を見つけて、繋がりを広げていって、いろんな知識や技術を学んでいく。そんな生活でした」

半年のイギリス滞在を経て、帰国。翌95年の全日本スカッシュ選手権大会で、初めての日本一に輝いた。

帰国してからは、年俸契約の選手兼コーチとして、横浜市泉区にできたばかりの大型スカッシュ専門クラブに所属。そこは、鉄道会社が都市計画の一環として作った、9面のコートを持つ、当時のスカッシュプレイヤーたちの聖地だった。
12年間所属したクラブが閉館…「さあ、どうしよう」
1994年~2003年までの約10年間、選手として活躍。しかし、所属クラブが無くなったことで将来を考えるようになる
渡辺さんが選手として第一線で活躍したのは、1994年から2003年までの約10年間。

「スカッシュ界としては良い時期でした。競技人口も、コートも右肩上がりで増えていった。でもそれも03年がピーク。その頃は全国で500あったコートが、現在では200まで減ってしまいました」

所属するスカッシュクラブには、コンスタントにお客さんが来ていたものの、もともとの立地の良さや設備の豪華さで維持費が追いつかなくなっていた。そして、多くのスカッシュファンに惜しまれつつも、06年3月に閉館。

「お給料の支払元が無くなって、本当に『さあ、どうしよう』ですよ。当時35歳で子供がまだ3歳。家も建ててしまった。まずは週に5日、あちこちのスポーツクラブでコーチをしながら1年ぐらい食いつなぎました。なんとかやっては行けたんですが“ずっとこのままでいいんだろうか?”という疑問が、いつもありましたね」

いっそ違う仕事に就こうか、と考えて証券会社を訪ねたこともあったが、サラリーマンとしてのブランクはすでに10年以上。もう一度、会社勤めをすることが、自分に合うとは思えなかった。そんなある日、ふと、ひとつの光景が頭に浮かんだ。

「テニススクールって流行っているな」

-街で見かけるテニスクラブにはいつも人がいるし、けっこう商売としても上手くいっているようだ。だったらスカッシュでも、同じような専門のクラブ経営はできないだろうか-

そう思った渡辺さんは、さっそくリサーチを始めた。ネットで料金システムを調べたり、実際にテニスクラブを見に行ってパンフレットを集めたり。

「やり方は、ほとんどテニスクラブの真似です。それまでは“スカッシュコートはスポーツクラブの施設のひとつ”という形がほとんど。前例がないから、誰かに教えてもらうわけにもいかない(笑)」

渡辺さんが“真似た”というのは、スクールを充実させるやり方。

「テニスってゲームをするとしたら、ダブルスでも1コートに最大4人。でもスクールなら1コートで1時間10人以上の人たちがプレーをしているんです。大人数の人たちが満足できて、楽しめて、経営的にもすごく効率が良い。スクールで仲間ができるから、リピート利用率も高くなる。スカッシュはコートが狭いので、ひとりのコーチが最大6人を教えるグループレッスンを軸に考えました。それから、初めて来るお客さんは、プレーしたことがない人、今までスカッシュを見たこともない人が多いんです。分からない者同士でも見よう見まねで少しラリーが続くようになると『面白いね』ってなるんですけど、ワンパターンのプレーしかできないから、そこから先がない。だからウチではまず「初心者フリースクール」っていう無料体験レッスンを必ず受けてもらうようにしています。それはクラブを始める時からの基本姿勢。今も続けています」

一念発起、スカッシュクラブを立ち上げる決心をした渡辺さんだが、難題はやはり「資金集め」だった。(前編終わり)
(プロフィール)
渡辺祥広 / 1970年2月1日生まれ、神奈川県横浜市出身。1995年、全日本スカッシュ選手権優勝。以降5連覇を含む通算7回の優勝を飾り、2003年に選手として第一線から退く。07年8月、横浜新羽町にスカッシュクラブ「 SQ-CUBE(エスキューブ) 」を開設。現在は札幌・さいたまと合わせて3店舗を経営。

※データは2016年11月29日時点
後編は12月6日アップ予定!
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