Home > 特集・連載 > 「安定を求めて一般企業への就職を検討。しかし貴重な経験を財産にしたいという気持ちが勝りました」スポーツの仕事現場 プロバレーボールアナリスト渡辺啓太さん(前編)

2016年6月21日16時19分

「安定を求めて一般企業への就職を検討。しかし貴重な経験を財産にしたいという気持ちが勝りました」スポーツの仕事現場 プロバレーボールアナリスト渡辺啓太さん(前編)

  • LINEで送る
知りたい!就きたい!スポーツの仕事現場
連載7回目~スポーツアナリスト編~
2020東京五輪に向け「スポーツ業界で働きたい!」と思っている学生や転職を希望している人が多くなる中、どんな職種があるの?どんなスキルが必要なのか?など分からないことが数あり、仕事の実際を知ることが意思決定には重要となる。そこで、スポーツを仕事としている人にインタビューし、仕事の“あれこれ”を聞いた。

職業:プロバレーボールアナリスト
名前:渡辺啓太(わたなべ・けいた)さん
職業歴:2006年~

仕事内容
・試合に向けたデータ収集や分析、戦術の立案
・選手のパフォーマンス強化のためのデータ分析
・監督・選手たち向けた情報資料(編集ビデオや分析資料)の提供

取材・文/太田弘樹
「ベンチに何でパソコンがあるの?」という疑問から始まる
今やスポーツにデータ分析は欠かせない。映像とリンクした情報を駆使し、チームを勝利に導く仕事、それが『スポーツアナリスト』。まだまだ、職業として確立している人は少ないのが現状だが、アナリストを目指す人たちは増えてきている。具体的にはどのような仕事をするのか。プロバレーボールアナリストとして活躍している渡辺啓太さんに話を聞いた。

中学・高校時代、バレーボール部に所属していた渡辺さん。高校生の時に、海外チーム同士の試合を観戦しに行ったことがきっかけで、アナリストに興味をもったという。

「日本のチームじゃなくて、たまたま海外チーム同士の試合を見ているとき、ベンチにパソコンがあったんです。ボールがすぐそばで飛び交っているから、危ないんじゃないかなとか、そういうふうに感じて『何でパソコンがあるの?』と思いました。まだ90年代の後半で、トップチームの試合はテレビでしか見られませんでした。今でこそ、そういう光景があれば、高校生でもデータ分析をしているのかな、というような想像がつくと思いますが、当時高校生だった僕からしてみれば、その様子はもの凄く衝撃的でした!バレーボールでもデータを取るということを知り、学校で実際に自分が試合しているときに、後輩にデータを取ってもらうようになりました。最初は、野球のスコアブックなどを参考にしながら、紙でデータをとり始めました。バレーボール版のオリジナルのスコアシートを作成して、チームや相手のデータを収集していきました」

高校のときからデータを集め、チームや相手の特徴に気が付く。その面白さが分かったことで、大学ではさらに深く分析について学びたいと感じた渡辺さん。専修大学ネットワーク情報学部をAO入試で受験したときは、大学の教授を前に「ID(Important data)野球」からヒントを得て「ITバレー」の実現を目指したいとプレゼン。見事に合格し、そこから本格的にアナリストの道に進むことになったが、前例のないこと…当初は大変だったという。

「大学に入り、すぐアナリストとしてやりたかったので、体育会バレーボール部の門を叩いたんですが…春高バレーで活躍していたような同世代の人たちがスポーツ推薦で入部していて、いわゆる一般入学の人は入部しないんですよ。それでも入部を希望すると『入部するんだったら、まず1年生なんだからほかの選手たちと同じようにやりなさい』と言われました。全国レベルの選手がいるので当然だと思うんですが、本当に厳しい練習でした。何とか耐えて、1年生の終わりぐらいから、実際にサブマネジャー兼アナリストをやれることになりました」

高校では紙。大学ではコンピュータを使用したいと思いネットワーク情報学部に入学。当時、各国が使用していた『データバレー』というソフトを購入したいと願ったが60万円という破格の値段。監督に話したが『それは買えない。でもデータバレーでどんなことができるかわかっているなら、自分で作ってみたら?』と言われた。

「無茶だと思いながらも、関数とかマクロとかを組み合わせながら、自分なりにエクセル版データバレーを作りしました。毎日夜遅くまで、1人で作成するのは大変だったんですが、試合で使えるようなものが一応完成し、1、2年生の前半ぐらいまではそれを使ってやっていましたね」
考えていた一般企業への就職
バレーボール部の監督から努力が認められ、大学2年生の後半にデータバレーを実際に購入。本格的にソフトを利用した分析を行うようになった。転機は2003年、04年アテネ夏季国際大会を目指していたチーム監督の目に止まり、アナリストとしての道が開けた。

「当時は、大学の先生がアナリストとして監督さんとやり取りをしていました。そんな中、先生のサポートをする部隊を作ることになり、大学のバレー界でベンチにパソコンを持ち込んでやっているような光景というのは珍しかったんでしょうね、その姿が目にとまり、お手伝いをさせていただくようになりました」

大学生から、アナリストとして活動していた渡辺さん。04年の大会が終わり、考えていたのはアナリストとしての道ではなく『一般企業への就職』だった。

「学生時代に、バレーボールで非常に貴重な経験をさせてもらったなという満足感がありました。僕の中では、やはりアナリストをやりたいという気持ちはあったんです。しかし、当時のVリーグを見渡しても、専任のアナリストなんてほとんどいなかった…周囲からも『スポーツで夢ばかり追っていても飯は食えないよ』という指南もあり、やはり一般企業に入ろうと就職活動をしました」

05年、大学4年生の時には単位もほとんど取り終えていたこともあり、できる範囲でアナリストとして監督のサポートをしていた。就職先も決まり、年末には内定者として研修をこなしていたが、翌06年の1月に大きな転機が訪れた。

「監督と話す機会があり『(就職して)本当にいいんか? 俺が協会にいって、アナリストのポストを作る。北京までお前の力が絶対に必要だから一緒にやろう』と言っていただきました。最初、協会にポストを作ってもらえると思っていなかったので…そこから最終的にバレーボールの仕事をしてみようと決意して始めました」

当初、08年北京大会までの3年間だけと思いながら仕事をしていた渡辺さん。やはり安定を求める気持ちが強く、将来的に長く働ける場所を求めた。

「06年から協会で雇用していただきましたが1年契約です。結果が出なければ終わりですからね、厳しいですよ。やはり、お金を貯めて、将来的には家族を持ちたいと考えました。しかし、この仕事は万人ができるものではない、ゼロから自分が作っていけるという面白さがありました。企業に入れば、先輩に色々教えてもらいそのレールを走るというイメージがありますが、専属のアナリストという職業自体が無かったわけですから、自分でトンネルを好きな方向に掘って力が試せる、そこに魅力を感じました。経済的なものは少し優先度を下げて、『今できる貴重な経験の貯蓄』をしようと決めました」(前編終わり)

後編は6月28日アップ予定!
  • LINEで送る
  • sports japan GATHER キャリア支援サービス