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2016年2月8日17時26分

酔いどれDの妄想一献“スポーツのある風景” 第1話『 天才の不惑・長嶋茂雄と高橋由伸』

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野球は現在キャンプイン。巨人の監督に就任した高橋由伸と長嶋茂雄の『傘』で繋がれたエピソードとは?イラスト・田中康一
スポーツ業界で働き、酸いも甘いも知り尽くすベテラン・テレビディレクターが、6割事実4割が妄想!?の『スポーツ界こんな話あったんだ!』というネタを、今宵の一杯とともに紹介することもある、ゆるーい連載。夜な夜な、お酒の肴の一つに加えてみては?
酔いどれDが推奨!この噺には、この一杯!
芋焼酎「日向木挽」
「ふたりの天才の汗が染みこんだ巨人のキャンプ地・宮崎に因み、お酒は、芋焼酎「日向木挽」が宜しいかと。その口当たりは、北風の中にあっても、角のない、やわらかい宮崎の冬の日差しの如し。お湯6焼酎4の割合ではなく5対5のハーフが良い。肴は地鶏の炭焼き。真黒な炭の狭間で、テラテラと脂が蕩ける一片に柚子胡椒を大盛りにして」(酔いどれDより)
なぜか節目、節目に、伏し目がち
巨人軍監督就任発表の日、記者たちに囲まれた高橋由伸の表情は“晴れやか“ではなく、何だか、ちょっと曇って見えた。巷では、野球賭博へ関与した巨人の3選手の名前が紙面をにぎわせていた。ヤクルトに優勝をさらわれ、高橋は自らの引退試合も無く、原辰徳の後を次ぎ、急遽、巨人の指揮を執る事になった。

― 齢40、不惑の歳 ―
とはいえ来季も現役、誰もがそう思っていた。そんな高橋の監督就任を決定づけたのは、「彼をおいて、他にいない」という長嶋茂雄終身名誉監督の一言だった様だ。

全く個人的な印象だが、高橋由伸はなぜだか「節目、節目に、伏し目がち」。そんな印象が強い。1997年、東京六大学屈指のスラッガーとして高橋はドラフトの目玉選手だった。外野手ながら、投手としても149キロを神宮球場のマウンドで計測した事がある、間違いなく野球の神様に選ばれた“天才”のひとり。当時のドラフトは、選手側がチームを指名できる制度だった。逆指名の期限が迫り、慶大のスターは西武・ヤクルト・巨人の3球団に絞ったとされていた。本命は愛着のある神宮を本拠地とするヤクルトと思われていた。しかし、締め切り直前、高橋由伸が逆指名をした球団は巨人だった。

晴れやかに自らの“就職先“を発表すると思われた会見で髙橋が見せた表情は沈鬱。-実家の不動業が上手く行かず、巨人が助け舟を出した-などと巨人逆指名の理由を書き殴る記事もあった。理由はどうあれ、五月晴れの神宮球場のホームを颯爽と駆け抜けた慶応大学のスターは、野球人生の節目に、伏し目がちな面持ちで会見の席にいた。
傘を持つ婦人見て長嶋監督に指導される
1998年2月、宮崎キャンプも半ばのある日。宮崎は朝から雨、練習は室内で行われた。室内でのバッテイングがお気に召さないのか、高橋の表情が「伏し目がち」に見えた。練習場の窓の外では、傘をもったファンが、静かに見つめている。

幾重もの緑色の網に囲まれた中でフリーバッティング。場所が室内であれ、フルパワーでボールを叩く松井や、清原らの打球音が鳴り響く。それを長嶋監督は、一球ごとに頷いたり、微笑んだり、巨大な緑色の網の間を行きつ、戻りつしながら選手たちを楽しげに観察している。

そして高橋のフリーバッティング。目近で、松井秀喜、清原和博、石井浩郎、広沢克己、名だたる先輩たちの激しい打撃を見せられたらチカラが入ってしまうのも無理もないか…。どうもバッターボックスでの構えが、しっくりとしない様子。伏し目がちな表情に加えて、背筋も俯き加減に曲がっている。その刹那、網の間を巧みにすり抜けて、長嶋監督が髙橋の傍らに立った。

「ヨシノブ、うん、どうした。ちょっと、あれを見てごらん」 と、長嶋監督は室内練習場の窓を示した。窓の外には、恐らく地元、宮崎の御婦人の姿。雨の中、傘を右手にこちらを見ている。

「こうして、すっと持っているだろ、傘」
右手で傘を持って佇む、御婦人の姿をまねて見せる。

「あんな感じ、ご婦人のね、すっとね。傘を持って立つ、感じ」
いたずらっぽく微笑む長嶋監督。

右手のバットを持ち直し、すっと左手を添えて、構えてみる。見事なまでに力が抜た自然体。高橋の顔に、晴れ間が見えた、気がした。プロ1年目、高橋は強烈なパワーヒッターの中でレギュラーを獲得。7番バッターとして打率3割、ホームラン19本を記録した。 

また、フリーバッティングでは松井、清原を筆頭に競うように次々と打球がフェンスを越えていく。その度にスタンドから歓声が上がる。ちょうど昼食前、巨人キャンプ名物のゴージャスなランチタイム。面白いようにボールが南国の冬空に溶けていく。そんな中、高橋の打球だけ、他の選手とは、何かが違う気がした。打球に品格があるわけがないが、高橋が描く放物線は何故か“品の良い打球“と、感じられた。

そんな高橋のバットスイングの解読を試みた事がある。スポーツ専門の大学教授の協力を頂き、バットスイングのヘッドスピードを映像解析した。すると興味深い結果が出た。巨人の強力打線の一角を担うスラッガー高橋のヘッドスピードは松井、清原よりも時速に換算すると10キロ以上遅かったのだ。ボールを遠くに飛ばすには速くて、強いインパクトが必要となる。松井、清原よりヘッドスピードが劣る高橋が何故、遜色ない飛距離を得られるのか。答えはインパクトにあった。

高橋のバットはインパクトの瞬間、ボールの中心の僅か下の位置を叩いていた。中心より下の位置を叩かれたボールは、下回転、つまりバックスピンで延びる様に飛ぶ、という解析結果だった。強烈なヘッドスピードが無くてもボール自身が飛び易いように回転をかける様に打っていたのだった。打球に品格はないが“品の良い打球”に見えた、理由かもしれない。いずれにせよ天賦の才が為せるワザ「バックスピン打法」である。

1974年「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して長嶋茂雄は引退。39歳という若さで監督に就任した。会見でキャッチフレーズはと尋ねられて「う~ん、どうでしょうぉ~。いわゆるひとつのクリーンベースボール」と、頬をピンク色にしてこたえていた。

2015年11月23日。東京ドームの視線を独り占めにして、高橋由伸が監督に就任。「覚悟を持って邁進する」と胸を張った。不惑の歳、四十路の入り口で引き受けた大役。この若き監督は高橋由伸という球界随一の勝負強いバッターの不在を、戦いの中で嘆く事があるかもしれない。40年前、長嶋茂雄のいない巨人を率いた“ミスター”が球団初の最下位に泣いたように。

千葉で産まれた東京六大学のスラッガー、やがて巨人に入団し主軸を務め指揮官となる。迷った時は、思い起こせば良い、傍らに立つ先人の微笑みを。きっと背中を押してくれる「貴方をおいて、他にはない」のだから-。

スポーツの歴史はこんな風に紡がれていくのかも知れない。
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