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2016年1月6日16時05分

元中日ドラゴンズ和田一浩さんインタビュー(前編) 「球場に行くときは期待より不安のほうが大きかった」

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2015年9月19日に現役引退を発表した中日ドラゴンズの和田一浩さん。引退の約3カ月前には、プロ野球史上45人目となる2000本安打を達成するなど活躍を見せていただけに“まだまだプレーしてほしい!”と多くのファンが声をあげた。しかし、彼は19年間の野球生活にピリオドを打つ決断をした。

今回は、16年新年特別インタビューとして、和田さんに現役時代の野球に対する思い、野球を長く続けられた理由、オリンピックのこと、などを赤裸々に語ってもらった。今回の前編は「野球人生」について。そして、後編は「野球を長く続けられた理由&オリンピック」について。後編は1月13日に配信予定。
野球=仕事という感覚
中学生時代の和田さん。野球中心の生活は引退する43歳まで続いた
-19年間ユニフォームが仕事着でした。今年はユニフォームに袖を通しませんが、どのような気持ちですか。

和田  気持ちの準備をしている段階ですかね。生活のルーティーンがガラッと変わってしまうので、想像はつきにくいんですが。。。ただ、今までなかったようなお仕事をさせていただくようになり「あ、引退したんだな」というのが少しずつですが感じられるようになってきました。

-子供のころからプロ野球までと長い間プレーをしてきました。ずばり和田さんにとって『野球』とは。

和田  6歳から野球をはじめて、中学校から社会人と野球中心に生活をしてきたので、プロになっていないときから、ある意味『仕事』という感覚でした。もちろん、プロに入ればお金をもらうので仕事になります。

-実際にプロになり、仕事として収入を得たときアマチュア時代と気持ちの面で変化はありましたか。

和田  最初のころはそんなに変化はありません。とにかく世間でいう『好きなことを仕事にできて良かった』という感覚でしたね。しかし、ある程度チームの中で責任というものが出てきたときに、そういう気持ちはなくなりました。球団から高額なお金をもらうようになり、チーム内で大きな役割があるという自覚をだんだんともち始め、本当に野球が『仕事』になったのは、レギュラーを獲得したときです。
一番悩んだことはFA宣言
ヒットやホームランよりもミスしたときのイメージが残っている
-プロ生活19年間で一番印象に残っている出来事は。

和田  FA(フリーエージェント)で、08年に中日ドラゴンズに移籍したことです。その決断はやはり重たい判断でした。今まではドラフトに掛かるのも他力でしたから、そういう意味で自身で決断できるという立場になったときが、私の中で大きな出来事で、本当にFAを宣言するまでは悩みました。宣言する=出るという決断はしていたので、するかしないかだけを考えていたことを思い出します。家族に相談したり、先輩に相談したりはしましたけど、最終的には自身で決めました。

-西武ライオンズから中日ドラゴンズへ。移籍するにあたり、家族とはどのような話し合いをしましたか。

和田  移籍し本拠地が変われば、生活の拠点が変わるということは家族にとっても大きなことだったので、その辺も考えながら決断に至りました。子供たちには子供たちの生活がありますし、奥さんにも今までの生活があります。そこは深く考えましたが、私が岐阜出身で地元でプレーしたいという気持ちが強かったんで、相談して家族で名古屋に行くことができました。

-それでは、現役時代プレーで一番印象に残っていることは。

和田  実際どのプレーがというのは…2000試合近く出たので、本当に『どれ』というのはないです。

-例えばこのホームランとか、このヒットとか思い出になっているものはないんでしょうか。

和田  ないことはないんです。ただ成功したことよりも『失敗』したときのほうがすごく多かったので…球場に行くとき、基本的にプラスのことを考えるよりも『マイナス』のことを考えるほうが多かったんです。

-3割を打っているときも。

和田  そうです。やはり球場に行くときには『不安』の方が大きいです。4打数4安打打てることはまずないので、その日によって2安打だったり、1安打だったり、打てなかったり、それをどう自分の中で受け入れられるか、それがすごく疲れます。「しょうがない、また明日!」といいながらも結構引きずったりするので…。4打席勝負して2本ぐらい打てたら気分も軽く、明日もがんばろうという気持ちになれますが、4回打てないと体も心もすごく重くなってしまう。野球は失敗が多いスポーツなので、本当にストレスはかかります。ストレスの中でプレーし続けるのでやはり『失敗』は頭に残りますね。19年間で、楽しくやれているなという時期はほとんどないです。調子のいい時でも半分は失敗するわけですからね。

-打てないストレスを抱えていても次の日も試合があり、修正するということは難しいように思えます。

和田  その日によって体の状態は違うので、そのための練習があります。自分自身の体の動きが理解できていないと、1日1日と修正できません。いかに修正していく能力を身に着けていくかが必要ですし、1年間やり続ける体力、頭も重要。そういうものが積み重なっていかなければダメだと思います。

-1日ごとに修正していく作業『こういう風になったから、ここを直す』ということがきるようになったのはいつごろでしょう。

和田  やはり、レギュラーを獲得してからです。レギュラーを獲れるようになり、そこまでいったのかなと思います。どうやって体を動かすか。自分の体が、こういう風に動かせばこうなるんだなというものを考えながらバッティングを行えるようになりました。色々なことを考えて練習していく中でレギュラーに近づいていった気がしますね。(前編・終)

※後編は「野球を長く続けられた理由&オリンピック」について。1月13日に配信予定

取材・文/太田弘樹
【プロフィール】
和田一浩(わだ・かずひろ)
1972年6月19日生まれ、岐阜県出身。97年西武ライオンズにドラフト4位で入団。西武入団時は捕手だったが、02年より外野手にコンバート。その後は常にチームの中軸を担い、ベストナイン6回、オールスター出場6回を数える。04年のアテネオリンピックでは「長嶋ジャパン」の中心選手として活躍。中日ドラゴンズへFA移籍した08年以降も豪快な打撃は健在で、10年には37本塁打を記録。リーグMVPを獲得した。15年6月11日、QVCマリンフィールドで行われた対千葉ロッテ戦(交流戦)にて、プロ野球史上45人目となる2000本安打を達成。同年9月19日にナゴヤドーム内にて、今季限りで現役を引退することを表明。
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