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ラグビープロレフリー平林泰三~前編~

2015年8月24日12時00分

知りたい!就きたい!スポーツの仕事現場
ラグビープロレフリー平林泰三~前編~

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知識・フィジカルは当然日本を代表する立場になる意識も必要
平林泰三
2020東京五輪に向け「スポーツ業界で働きたい!」と思っている学生や転職を希望している人が多くなる中、どんな職種があるの?どんなスキルが必要なのか?など分からないことが数あり、仕事の実際を知ることが意思決定には重要となる。そこで、スポーツを仕事としている人にインタビューし、仕事の“あれこれ”を聞いた。

~4回目~
ラグビープロレフリー
平林泰三(ひらばやし・たいぞう)さん
年齢 40歳
職業歴 12年

仕事内容
・試合前のゲームプラン作成
・試合に耐えうるフィジカル向上・維持
・レフリーの普及活動・日本代表強化サポート


近所に“たまたま”トップレフリーが住んでいた


サッカー、野球などスポーツの試合で必ず目にする『審判・レフリー』。試合のジャッジをする人というのは漠然と分かるかも知れないが、具体的にはどのような仕事をしているの? 審判ってどういう風になれるの? と思っている人もいるはず。今回は、アジア初のフルタイムラグビーレフリーとして国内外で活躍している平林泰三さんに話を聞いた。

小さいころから、代表の選手や海外でプレーするということを目標にラグビーをしていた平林さん。高校生3年の時、優勝候補といわれていたチームに所属し、全国大会を目指していたが結果は予選敗退。大学受験もあり、一度はラグビーから離れたが、やはりラグビーに関わることをしていきたいという思いが強くなった。チームを指揮する『コーチ』、大会を裏から支える『大会運営』という選択肢の中で、平林さんは『大会運営』のほうに進む道を決めた。その理由を聞くと、

「当時、日本ラグビーフットボール協会のレフリーの人がたまたま近所に住んでいらっしゃいました。川崎重雄さんというんですが、日本屈指のレフリーだったのです。仕事に関しては、全く分からなかったのですが『教えてください』と門をたたきました」

高校3年の2月から指導してもらい、その2カ月後には宮崎県協会C級公認レフリーの試験を受け合格。「たまたま」の出会が『第一の転機』となり、平林さんの人生を大きく変えていった。

高校を卒業後、宮崎産業経営大学に進学。大学3年生のときには、オーストラリアにレフリー研修にいく機会があった。そこで、オーストラリア協会から2回ワールドカップの笛を吹いたバリー・リースクさんに出会い『第二の転機』が訪れた。

「国際レフリーになりたいんだということを相談し、アドバイスをもらいました。しかし、『怪我をしていないのだったらラグビーをしたほうがいい』といわれたんです。まあバリーがいうならやりますという感じで、オーストラリアでプレーを始めました。それでも国際レフリーになる気持ちは揺るがなかったですね。あくまで、トップレフリーになるための過程だと思っていました」

3シーズンオーストラリアのプレミアリーグでプレーし、オフには日本に戻り大学で授業を受け4年間で卒業。また、21歳の時には九州協会B級公認レフリーに合格、2000年には九州協会から関東協会に移籍した。

「日本のナンバー1しか国際レフリーになれないと思っていました。1番競争があって、1番人数が多いのが東京都協会なので、東京で1番になろうと思い関東協会にいきました」

当時は、協会を移動する人など一人もいなかったため、協会側も対応に困ったという。

後編に続く!

文・太田弘樹
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